2012年12月29日土曜日

今どきのラジオ【数学担当】

クリスマスが終わり、せっせと飾りつけをしたクリスマスツリーを
かたずける時ほどむなしいものはない。
今年は26日朝から授業が入っていて
その前にはかたずけ完了を目指したけれど、あえなく撃沈。
オーナメントのない、ただのモミの木のまま
生徒さんを迎えた (>_<)
朝は早起きなので、ささっと取り掛かればよかったのに
のんびりネットサーフィンなんかをしていたからな~。

ネットサーフィンは時間泥棒で、あっという間に時が過ぎちゃうんだけ
ときどき面白いものをみつけることもある。
パソコンでラジオが聴けるというのもその一つ。
FMだろうがAMだろうが、電波の影響を得ずに
聴きたいチャンネルにセットができる。
番組表の一覧から選局すればいいだけ。
便利だと思わない?
昔、オールナイトニッポンを、ガッサガサの音質のなかで
耳を澄ませた頃と比べたら、夢のよう。
で、ラジオをかけながら家事をしたり…。
しかし、仕事をするときは、やや気が散る。
そこでまた見つけたのは、アメリカのラジオを聴けるサイト。
これだったら、英語だから気にならないし(それも問題か…)
ヒット曲がいろいろ聴ける。
最近気になりだした、ワン・ダイレクションの曲もかかる。
ワン・ダイレクション…かわいくない?
実は息子と同じ年。自分の年を感じるわ~。

今年の数学教室の休み時間もこれが最後。
一年間お付き合いありがとうございました。
みなさま、よいお年をお迎えください。

2012年12月26日水曜日

メリクリ!【国語担当】


三連休の後のクリスマス(本番)、しかも平日…というのは
華やかさに欠ける↓。街はすっかりお正月を迎える準備に
切替わっているし、冬のバーゲンまで、もうあとわずかの今
何か買おうなんて人はいない↓

幼い頃、ド田舎にはサンタクロースなんて者は、いなかった。
祖母が、サンタブーツ(紙製の長靴にお菓子の詰め合わせが
入っている代物)の売れ残りを一つ買ってくれるだけだった。
ケーキは…いや「も」、取引先の残り物のバターケーキ。
「今日はご馳走だよ!」って言う時は、たいてい「カレー」↓
でも、毎回登場する近所のNちゃんは、そういえば…白いギターとか、
サンタさんにもらっていた。Nちゃんちのケーキは、生クリームで、
ご馳走は「チキン」だったんだろうな~。
不思議なことに、羨ましいと思うこともなく、我が家の状況も
それはそれで自然に受け止めていた。
ただ、自分の子どもには、夢を与える役割を担っていこうと思った。
幸い天然系の為、上二人は小学生までサンタクロースの存在を
信じていたようだ。上の子が、まだ小学生だった頃、
とある地方の「サンタランド」を訪れたことがあった。
「今日は、サンタさんが執務室にいますよ!」との放送で
執務室とやらに出向いてみると、恰幅の良い白ひげの…まさに
サンタクロースが背広姿で机に向っていた。青い目のその
おじさんは、紛れもないサンタクロースの仮の姿といった感じだった。
しかし、想像上の人物を目の当たりにした時って、人は「固まる」!
私たちは、大人なので「まあ、よくも似たような人を見つけてきたもんだ。
夏に、しかも秋田(フィンランドじゃない!)で執務中って、有り得ないし…」
と思ったが。子どもたちは、「固まり」続け、一言も発せず、御対面終了。
いろんな意味でいっぱいいっぱいだったのだろう。想像上の人物は
見えないところで、そっと存在していて欲しい…と思った。
 
さて、今年もこれで終了。一年間、お付き合い頂き有難うございました。
また、来年も宜しくお願いします…ね♡

2012年12月22日土曜日

メロディーがもたらすもの【数学担当】

毎週楽しみにしていたドラマの最終回の中で
棺に横たわるお父さんの髭に触れた瞬間
子供の頃の記憶がよみがえり、一気に寂しさがあふれ出す
というシーンがあった。
私は母が亡くなった後、いつも彼女が電話をかけてくる
(それは大抵がつまらない用事で、私は迷惑がっていた)
夜の決まった時間に、ふとそのことを思い出し
もうこの時間に電話がかかってくることはないのだな
と思ったとたん涙があふれ出た。
思い出は、思いがけない瞬間に突然訪れてきて、戸惑うことが多い。
もちろん楽しい思い出もたくさんあって
音楽を聴くことによって記憶を掘り起こされることもしばしばある。
国ちゃんとカラオケに行くと、高校時代のことを
山ほど思い出す。

長男の高校の芸術鑑賞会が帝国劇場の「レ・ミゼラブル」だった年があった。
貸切席の一部が保護者に開放され(もちろん有料)
子供たちと一緒に観たのだけれど
別所哲也が演じるジャン・バルジャンはとても素敵だった。
芸術なんてよくわからない男子高生の息子ですら
いたく感動し、帰宅してから二人でその話に盛り上がった。
そして昨日映画「レ・ミゼラブル」を観た。
繰り広げられるメロディーを聴くたびに、息子が高校生だった頃のこと
一緒に行ったお友達とのことが思い起こされて
ホンワカと心が温かくなった。
上映中に必ずもう一度、観に行こうと思っているんだ。

2012年12月19日水曜日

忘れられない感覚【国語担当】


五感とは、ヒトが外界を感知するための感覚機能をいい、
視覚・触覚・聴覚・味覚・嗅覚を指す。
関心がある感覚は?…というアンケート調査で、ダントツの
1位が、「嗅覚」。「触覚」「聴覚」「視覚」と続く。
1位が「嗅覚」というのは、意外だったが、よくよく
思い返してみれば、忘れられない感覚として、一番に甦って
くるのは「嗅覚」かもしれない。
11月の終わり、養老渓谷に紅葉を見に出かけた時、
田んぼを焼く臭いがして、田舎の秋の風景が脳裏をよぎった!
それから、祖母の香水の香り。すれ違いざまに、香ると
思わず振り返ってしまう。今は亡き祖母を思い出す。
「嗅覚」は色あせない…のかもしれない。

この話とは少し違うかもしれないが、以前、ダウン症の少女の
「たて笛」の演奏を聴く機会があった。小学校で習う、あの
普通の「たて笛」。聴いているうちに、涙が溢れて止まらなくなった。
なぜだろう? 最近では辻井伸行さんのピアノ。
心が感動して、震えて、自然に涙が溢れ出してくる、といった感じ?!
もう、それが…涙が止まらなくて、自分でも少し戸惑った。
「聴覚」の…忘れられない前世の記憶かなにかだろうか?
前世の記憶といえば、「氷を削る音」がとても苦手。奥歯にしみる
ような感じで、鳥肌がたち、背筋が凍る。
「前世は、南極探検隊の犬ぞり部隊のうちの一匹で、氷の中で
命を落とした」のでは?…と、思わずにはいられない。
氷つながりで、スケートも苦手!かき氷も削るのは苦手!
アイスホッケーとか、見に行ったら、感覚だけで死んでしまいそうな
気がする↓

2012年12月15日土曜日

暗闇の中で【数学担当】

今は誰もがJRと呼ぶその電車は、私たちが高校生の頃は国鉄と呼ばれていた。
電車のことも、地元では汽車といい(石炭で走っているわけではないが)
「国鉄に勤めていれば安心」と、息子を就職させたがっていた
おばさんもいた。
一時JRはE電と呼ばれていたこともあったけれど
いつの間にか消滅。
テレホンカードの電車版のような、オレンジカード(オレカ)というのもあったっけ。
2006年に帰国した時には、もうすでにスイカが使われていて
最初うまくなじめない私と子供たちは、改札口でモタモタして
ひんしゅくをかっていた。 (>_<)
今でも、スイカのチャージが足りなくて、出口で扉が閉まっちゃって
ジタバタすることも…
でも、改札を入るときに表示される残金は
微妙に時間差があって、前の人の金額がでていることもあり
「出れると思ったのよ~」と目で訴えても、カッコ悪すぎ。
でも、これって見えている人にだって不親切なのに
よく見えない人、全く見えない人はどうしているんだろう。

先日「ダイアログ イン ザ ダーク」というワークショップに行った。
完全に光が遮断されている空間に、視覚障碍者のアテンドスタッフが
連れて行ってくれる不思議な旅。
多分、そう広くない場所なんだろうけれども
何しろ何も見えないし、とても不安。
足元もわざと不安定に作られている。
でも、視覚以外の五感はフル活動できるように
いろんなにおいがしたり、水が流れていたり。
見えないと室温の変化にも敏感に反応してしまう。
一緒に探検に入ったメンバーとは、声を掛け合い
時には手をつなぎ、「あ~、人とつながるって安心するな」
としみじみ感じた。
真っ暗闇の中、手探りで飲んだワインとおつまみが
ことのほかおいしかった。
ひとそれぞれ、いろんな発見がありそう。
機会がありましたら是非参加してみてください。

2012年12月12日水曜日

流行語【国語担当】


子どもの名前。我が家の長男は、両家にとって初孫。
義母が、それはそれは張り切り、画数・意味とも、素晴らしい名前を
考えてきた。しかし、縦書きにすると、中国の占い師のような印象。
で…生れてきた長男は、黄疸になり紫外線カプセルの中↓
占い師の字面と長男の面差しが一致せず、急遽、自分たちで考えた。
次に生れた娘には、響きが気に入った名前を用意していたが、
平仮名もカタカナも、どんな漢字をあてても、字数が悪く、
仕方なく、義母考案の占い師の名前を使用!義母も満足!
二男は、予想もしない誕生だったので、完全に響きだけで決めた。
フランス人みたいな名前。犬と間違われる…。

さて、今年の新語・流行語大賞が発表されましたね。
その年1年間に発生した「ことば」の中から、世相を軽妙に映し、
多くの人々の話題に上った新語・流行語を選び、その「ことば」に
関わった人物・団体を顕彰するとされている賞…のこと。
何となく…今年は、パッとしない印象。
この賞の起源は、1984年。現代用語の基礎知識の読者アンケートに
よりノミネートされ、選考委員(7名)によって、トップテンと
大賞が決定。わずか、7名という限られた選考委員の個人的嗜好に
基づいて恣意的に決められる要素が強く、必ずしも純粋な意味で
世相を軽妙に…とは言えないようである。
で、数ちゃんと私が、社会人になった1987年の大賞は…
「マルサ」。トップテンの中に、JR(国鉄民営化)・第二電電
NTT発足)・サラダ記念日・朝シャン(清潔指向現象)・ゴクミ
(国民的美少女、後藤久美子の略)なんかがあって、懐かしい~!
私の中の流行語・新語は、「スパイラル」と「蓋然性」。何かで耳にして
使えるような時は、やたらと使っている。最近では
「私、失敗しませんから!」…テレビの見過ぎ?!
知っているあなたも、テレビの見過ぎです!

2012年12月8日土曜日

名前の付け方【数学担当】

同年代の友達は「〇〇子」が多い。
国ちゃんも私も「子」が付く。
私たちの子供は、そんなに斬新な名前は多くないけど
一世代下のママたちが付けた名前は
「とうい」とか「ねあん」とか「うらら」とか。
どこから思いつくのかしら。すごい。

我が家の子供たちの名前は、夫が付けた。
長男の時、すでに男の子が生まれるとわかっていたので、
そっち方面で検討。
字画と意味からマトリックスを作って
その組み合わせで決めた。
この期間、数か月。
凝り性の夫の気合の入った作業だった。
次男の時も、男の子が生まれることは分かっていたので
同じ作業で決めた。
けれども、このときは長男の時のマトリックスがあったので
比較的早めに(実はあっという間に!?)決まったことは
次男には秘密である。

10月に会った知人は、奥さんが妊娠中。
彼も子供の名前は既に決めていると。
ロシア出身のドイツ在住の彼は、自分の祖国ロシアでも
今住んでいるドイツでも共通して通じる名前を付けたそうだ。
その組み合わせは、かなり少なく
ひいひいじいちゃんの名前だったこともあり
一つに絞ったという。
女の子だったらどうするの?って聞いたら
う~ん、と唸っていた。
で、男の子生まれました~って連絡が先日来た。
よかったね~。

2012年12月5日水曜日

名前【国語担当】


Nちゃんのお弁当かぁ。ホットケーキもNちゃんのお母さん! 
高校時代は自分の弁当対応に必死で他を観察する余裕なし↓。
私が、お弁当の時に飲んでいた地産!「カフェオレ」を
隣の席のEが毎回、勝手に飲んで、数ちゃんは、いつも
「人のものを勝手に飲まない!」と叱ってくれていたね。
それから、Mちゃんのお弁当箱。アルミのおじさんが持つような
でかい弁当箱で、中味は、ほぼご飯で…びっくりだったよね。

さて、今朝「こどもの名付け」に関するニュースを見た。
2011年…女の子①陽菜(ヒナ) ②結愛 ③結衣
男の子①蓮 ②大翔 ③颯太…がベスト3。
意味より、好きな漢字や響き重視の傾向があり、画数より
ネットなどで事件に巻き込まれないよう事前に調査…
珍しい名前は避ける、犯罪に巻き込まれやすい名前は避けるetc
…確認してから、決めることが多いそう。
名前は時代を反映する。女児の名前を例に挙げてみよう。
時は大正…カタカナの名前が多い。「千代」や「美代子」のように
お国の繁栄を願う。そして「久子」「貞子」「文子」娘に求めるもの。
昭和初期…「和子」「幸子」「節子」平和や幸福を願う気持ち。
昭和中期…「美智子」・「愛子」・「洋子」。もちろん世紀のご成婚
「美智子妃」の影響は大きい。昭和後期…「美」という漢字が好まれ、
「久美子」「由美子」「明美」「真由美」。そして平成…もう「子」がつくのは
「莉子」くらい。「美」もつかない。一文字の名前「愛」「舞」「萌」。
未来に羽ばたく・グローバルなイメージ…「七海」「美咲」「遥」。
数ちゃんと私が生まれた年のベスト3は、女児が①由美子 ②恵子 
③久美子。男児が、①誠 ②浩 ③豊…なんか、時代を感じる。
先日、近所の公園で、小さい女の子を連れたお母さんが
先を行く男の子(お兄ちゃんかな)を「ローマ…待って!」
と呼んでいた。妹の名前は、おそらく「ミラノ」ちゃん…?!
でも、一緒にいた友人が「龍馬…だったよ」って。じゃあ、妹は?
まさかの…「勝子」(勝海舟より)?!
母が歴女ならあるかもね。

2012年12月1日土曜日

洋食と和食【数学担当】

国ちゃんのお弁当のことは覚えてる!
黒ゴマが卵に、滲んでいた (>_<)
そういう私も、焦げた卵焼きをお弁当にいれてたけど (>_<)
高校生の時、国ちゃんと私、あと何人かで一緒にお弁当を食べてたね。
その中にいたNちゃんは、いつも素敵なお弁当を持って来ていた。
冷凍食品じゃない、大きなエビフライがいつも入っていた。
Nちゃんのお母さんのことは、ご近所さんの国ちゃんの方がよくわかっているけど
私が持った印象は、家庭的ないいお母さん、て感じ。
無意識のうちなんだけど、私は自分の母に
Nちゃんのお母さんがいかに素敵なお母さんか、ということを
話していたようで
私の母は大人のくせに、「そんなにいうのならNちゃんのお母さんに
お弁当作ってもらえばいいでしょ」な~んて、拗ねていた。

そんな母が、私のお誕生会に作ってくれたロールサンドイッチは
その当時インパクトがあって、今では私が子供たちに作る
サンドイッチのメニューの一つとなってる。
なんてことない、単に具をパンでクルクルと巻いて
ラップで包んだだけのものなんだけど。

我が家では、今日の夕飯は何?、と聞かれたら
「洋食」とか「和食」とかって答える。
主食がパンの日(おかずが洋風)は「洋食」
主食がご飯の日(おかずが和風)は「和食」
大抵の場合、洋食っていうと
子供たちは「やったー!」っていうし
旦那はいそいそと、ワインを用意する。
おかずの中身じゃないってことか…。
子供たちが家庭を持ってから
今日の夕飯は洋食…なんて言ってたら面白いな~。

2012年11月28日水曜日

危険!【国語担当】


芋煮会…あった・あった!恒例行事のひとつ。
ウィキペディアでは、主に東北地方で行われる季節行事と
ある。秋の風物詩だ。秋といえば、河原で芋煮会だった!

食の思い出…私の家庭は、祖母が家事一切を切り盛りしていた。
酒屋を営んでいたので、母は「従業員」のひとりだったのである。
以前、誕生会に「どじょう鍋」のことを書いたが、洋食といえば
カレーくらいなもので、おやつも「漬物」「いちじくの甘露煮」
「夏ミカンの皮の砂糖漬け」って具合。友だちの家で、
ホットケーキを焼いてもらった時、気絶しそうになった!!!
郡山(私たちが「都会」と称した町)で「ナポリタン」を食べた時も
軽く気絶した…。
高校生になり、祖母が入院し、母が家事全般を行うことになった。
その斬新な手法に…完全に脱帽↓
寒くなってきたからと、クリームシチューを作った母。
じゃがいもかと思い、食したら「サクッ!」といったので
何かと聞いたら、「秋だから、梨!」。「梨」はクリームシチューには
合わない↓もちろん「柿」も↓むろん「カレー」にも入れちゃダメ!
お弁当もすごかった。数ちゃんとは同じクラスで毎日一緒に
お弁当を食べていたから、覚えているかな?!
「なんか今日は重いな~」と思っていたら、おかず入れに
コンビーフの缶詰めがそのままの状態で入っていた。
頭がよくなるよ!とか言って「ごま」に凝っていた母は、
卵焼きに黒ゴマを混ぜて焼いて、お弁当に入れた。お昼には、黒ゴマが
卵焼きに染み、変色。数ちゃんに「腐っているよ!危険!」と言われた。
実家に帰省すると、母は、相変わらず斬新な料理をふるまってくれるが、
不思議なもので、懐かしく、美味しい……気がする。
私の「おふくろの味」のアーカイブは、きっと、なんかジャンクな感じ?!
んだろうな。

2012年11月24日土曜日

田舎を思い出す時【数学担当】

国ちゃんの「死語の世界」
そうそう、そんな言葉あったあった!
使っていたかどうか…微妙ではあるが(特に前半)
確実にその活用方法は熟知している。 (>_<)

最近私が耳にした死語。
…うわっぱり…
寒くなった時に一枚羽織る、ジャンパー…あ、これも死語か…
上着のことです。
もう一つは
…ぺったらっこく…
平らに…という意味なんだけど、これは死語?それとも方言?
ニュアンス的には、平らに…というより
もっと平べったく、ぴったりと地面にくっついて、という感じが
表れている。
どちらの言葉も、耳にしたときに「懐かし~!」って思った。

先週末近所で開催されていた朝市へ行ったら「芋煮」が売っていた。
芋煮とは、サトイモをはじめ野菜を中心にして
お肉もちょっといれて煮込んだ汁物。
けんちん汁とどう違うかって言われちゃうと、難しいところなんだけど
その製作過程が違う。
まず、正統な芋煮は「芋煮会」という会の中で調理されるもの。
芋煮会は、鍋や材料を持って河原に行って
石でかまどを作って、そこで調理する。
私が子供の頃は、小学校や中学校の毎年恒例の秋の行事だった。
田舎のバーベキュー大会のようなもの。
本当は上記のけんちん汁のようなものを作るのだけれど
中学生くらいになると、カレーとか、おでんなんかを
作ったりもして、でも大きなくくりとしてこれも芋煮会。
早速一杯購入、その場で食す。
あ~、この味この味。
忘れていた田舎の記憶が一気に戻ってきた。
友達の顔とか、河原のごろごろした岩とか、あの時の匂いや味。
川の水がどれだけ冷たかったか、学校のジャージ…ダサかったな、とか。
昔の音楽を聴くと、そのころの時代を思い出すってことはよくあるけれど
味覚で記憶が戻るっていうことがちょっとした驚きだった。
なんか、ちょっとよい週末でした。

2012年11月21日水曜日

死語の世界【国語担当】


数ちゃんが、教えてくれた読書のサイトに行き、私が
最近購入した本の名前を入れて、検索してみたら、同じ本を
読んでいる人が何人かいた…受験生と同業者だった…。
どうなんだろ……微妙……

先日、知り合いの男性(50代後半)に御礼を言われた。
洒落っ気たっぷりに「恐れ入谷の鬼子母神!」と…。
余りにも懐かしい言葉だったので「当たり前だのクラッカー…
依然の問題ですよ。死語どころじゃない。その言葉はもう成仏して
しまっていますよ。」なんて言い返した。
死語とは、使用者がいなくなり、使用されなくなった言葉。
かなり、淋しい…。そういえば、他にもあった!
語尾に「洒落」を加える言葉、で、死語。でも、どこかで耳にする。
「その手は桑名の焼き蛤」「来たか長さん、待ってたホイ」
「合点承知の介」…これはもう、成仏語!
「そんなバナナ」「腹立つのり」「許してちょんまげ」…死語!
最近「お疲れサマンサ・ターバサ」って竹之内豊が、あるドラマで
言っていたけど、それすら、もう死語らしい。現代語は、やたら短い。
「マジ」「きもっ」「てか」等々。語尾にそんな洒落を施す余裕はないだろう。
衣類に関する用語は、本当に「世代」を感じる。
「白いとっくりのセーター」って言われた時、ものすごく古臭く感じた。
「白いタートルネックのセーター」のことだが、もしかして、商品自体、廃番?!
で、「ジーパン」も「パンタロン」も「ホットパンツ」も死語!
「ちょっき」も「バンド」も「つっかけ」も死語!
もしかして、使ってしまっている? さて、現代語が何だかわかる?
「デニム」に「ブーツカット」に「ショーパン」
「ベスト」に「ベルト」に「サンダル」だ。
死語の世界って、でも…なんだか、懐かしいでしょ?!
他に、最近耳にした「死語」があったら、教えてね。

2012年11月17日土曜日

憧れから発展するもの【数学担当】

大人になってから、同性のお友達に惚れることが多くなった。
若いころは、惚れるのは異性であり
同性はある意味ライバルであったけれど
すっかり異性に興味がなくなった今となってからは
気になるのは同性の友達。
いや、この感情はむしろ
キャ~、西城秀樹好き~❤ というものに近い。
(そういえば国ちゃんと秀樹のコンサートへ行ってYMCAを踊ったっけ)
そういう友達がおススメするものは一応チェックしてみるし
生き方そのものにも、近づきたいなと思うことが多い。
国ちゃんのブログを読んで、これが「羨望」というものなのだろうか
と思った。
「羨望」…悪くない感情だね。方向さえ間違えなければ
自分を向上させる原動力になる。

何人かいるそういう憧れの友人の一人と読書の話をした。
お友達と本の話をするのは好き。
自分が知らなかった面白い本を発掘できるし
同じ本を読んでいたりすると、気持ちを共有できるから。
そこで教えてもらったのが、「読書メーター」というWebサイト。
自分の読んだ本を登録すると、同じような好みの他のメンバーを
リストアップしてくれるというもの。
自分の読書量の管理もしてくれる。なかなか面白い。
私としては、自分の読んだ本の評価を保存しておきたかったので
もう少し違うのないかな~と探した結果見つかったのが、
ブクログ」。これは私にあっていて、使い勝手がいい。
読書メーターと同様に、似たような趣味の他のメンバーがわかる。
早速そのうちの一人をチェックしてみると
理系の大学院で勉強する女性だった。
プライバシーの観点から、個人の詳細はわからないけれど
自分と似たような人が、似たような本を読んでいるっていうのが
興味深かったよ。お時間のある時にWebサイトの覗いてみてね。



2012年11月14日水曜日

羨望【国語担当】


「劣等感」が芽生える前段階で、他者に対し抱く自意識の中に、
嫉妬や羨望や自己嫌悪といったものがある。
自分と異なるものや、自分から見て良く見えるもの、
自分が欲しいものなどを持っている相手を快く思わない感情のこと。
「嫉妬」は主に三者間で芽生えるもので、独占欲とそれが犯される
危機感が条件。二者間での「嫉妬」は成功・名誉・他者からの賞賛で現れる。
似た感情で、「羨望」というのがあるが、これは、他人の属性
(容姿・才能・資格・学歴等)や所有物が対象。羨ましく思う気持ち。
そして「自己嫌悪」は自分で自分が嫌になる状態で、何らかの失敗を
してしまったと感ずる時などに湧き上がる感情のこと(数ちゃんが
コンプレックスと感じているのは、この自意識からくるものかも)。
これらの感情は、総じて、興味のないものには上がってこない感情だから、
興味ある対象に、興味ある分野でのみ湧きあがる感情という意味で、
数ちゃんの認識は正解!しかしながら、これも人それぞれってことだ。
ただ、「自分にはない!」という思いの裏返しだから、自分にはないと
自分で認識しているだけで、他者から見れば、十分に持ち合わせて
いる場合もある。これまた上を見てもきりがないし…ってやつ。
「貧乳」である劣等コンプレックスを克服した…と書いたが、前段階での
自意識に「羨望」はなかったか? 「貧乳」のメリットは何か…と
考えた時に、「身軽・よくわからないけどエコ・狭い所もすんなりくぐれる」
くらいしか思い浮かばす、これは、果たしてメリットか否かという
論点に至る始末。私が劣等を認識している「女性」の外観としては
むしろ「劣等」に当たるのではないだろうか。オッパイといえば
「母性の象徴」いや、「女性たる象徴」ではないか。そう考えると、
「貧乳」を認識した段階で、寄せたり、上げたり、入れてみたりと努力したのか。
結局「興味がなかった」のか、とすれば、それ自体「女性」として
いかがなものか…というネガティブなスパイラルに(またまた)陥っていく訳である。
爆乳への「羨望」は限りなく認めよう。机にオッパイをのっけて
「あ~ぁ、重い…」なんて呟いてみたいから。

2012年11月10日土曜日

なりたい自分【数学担当】

随分昔の話になるが、
人はみな、心の奥にある「そうなりたい自分」を持っている(けれどなれない)人に対して
不快感を持つ
という文章を読んだことがある。
やっかいなことに「そうなりたい自分」というのは、本人自身が気づいていないことが多く
だからこそ、なんとなくムカついたりしちゃうらしい。
ごく稀にだけれど、なんか意地悪されちゃってる?って時
「ほっほ~、この人は私みたいになりたいのね。憧れちゃってるのね。」
と思ったりする。
するとなんだか、いろんなことが気にならなくなったりして
この話を読んでからは気が楽になった。

国ちゃんはオッパイについて、「そうなりたい自分」には含まれていないみたいだから
胸の大きさに自信のある私についてムカついたりはしていない…よね。
私自身は高学歴に対して「そうなりたかった自分」があり
若いころの不勉強さが「そうなれなかった自分」にしてしまった
と今でもコンプレックスに感じている。
お友達が「私たち津田塾で先輩後輩だったんだよ」なんて言っているのは
すごく羨ましいと思ったし
国ちゃんの早稲田卒には、憧れがある。
でも、国ちゃんにムカついたりはしないわけ。
思っているほど、実はコンプレックスになっていないということなのか。

一方で、時間にルーズなことについては、ちょっとムカついたりしてしまう。
自分が最後に到着したりすると、それが待ち合わせ時間内であっても
なんだか遅刻してしまったような気になる。
ましてや、遅れていった場合、実はずっと密かに反省している。
だからいつも決まって遅れてくる人はちょっと苦手だった。
それって本当は、時間にとらわれない自分になりたいってことなのかも。
学生の頃はかなりの遅刻魔だった私。
社会人になってから徹底的に叩き直された。
今日もこのブログを書くのに、もう1時間経過。
あ~、もう時間が…遅刻する~ (>_<)

2012年11月7日水曜日

コンプレックス【国語担当】


コンプレックスとは、単純に訳せば「感情複合」。
もともと心理・精神分析用語で、無意識のイメージが感情を
伴って複合している状態を言う。この語が、ある学者の
人格心理学(劣等複合の克服を通じて人格の発達が成立する)の
中心概念と結びつき、日本に浸透。コンプレックスといえば
暗黙のうちに劣等コンプレックスを指すようになった。
アイデンティティーのように誤用された和製英語の一つである。
「劣等感」とは、他人に対して自分が劣っていると感じることであり、
劣等感は他者との競争意識から生まれ、競争面での挫折の結果
認識される感情である。
「劣等コンプレックスと言った場合は、必ず優越感もその中に
混入させているもので、感情の絡みつきのない、自分の劣等性の
認識は、むしろ劣等コンプレックスを克服した姿である。」
…と河合隼雄先生は書いている。
例えば、私は貧乳であるが、そのことに対して、平気で認めている。
貧乳であることで、私自身の人格の尊厳性を失うことはないと
感じているからである。つまり、貧乳であることについての劣等の認識は
自我の中で統合されており、何も安定をゆさぶられないからである。
そこで、前回登場したモンスターP…爆乳であった!
「私はHカップですが、あなたは何カップですか?」と自慢げに
と聞いてきた。Pはおそらく、爆乳であることに優越感を抱いているのだろう。
しかし、オッパイの大きさについて劣等コンプレックスを持たない私は
A!いや、むしろマイナス!」などと明るく答えることができた訳だ。
劣等感は人それぞれ。そして、軽度のものから、奥が深いものまで…
上を向いてもキリがないし、下を見てもまた、キリがない。
克服することで、更なる展望を生むであろうことは、わかっているが…
実際はなかなか難しい問題だ。そんな時は、「世界にひとつだけの花」でも
口ずさんで前向きに生きるのが得策!…かもよ。