2012年9月29日土曜日

大学生になってみると【数学担当】

夢破れし大学受験↷
不勉強さを深く反省し、リベンジを考えるも
もともと意志の強くない私にとって
のど元過ぎれば…のことわざ通り
すっかりその環境になじんでしまったわけで…
国ちゃんに負けないくらい、私も怠惰な生活を送っていた。
80年代の女子大生のご多分に漏れず、テニスとスキー三昧。
毎日着ていく洋服に悩み
「今日のカッコはイマイチだから自主休講!」
なんてことも多々あった。
そんなわけだから、4年で卒業するところを5年かかった↷
(パパ、ママごめんなさい <(_ _)> )

実はこのダブった1年間が、今の私に大きく影響を与えてた。
まず、性格的なもの。
それまではいつも友達とつるんでいたけれど
ちゃんと進級した友達とは授業も違ってしまったから
一人で行動することが多くなった。
なんでも自分で決めて、一人でどこへでも出かけていく。
そんな性質が培われたのはこの時期だと思う。
もう一つは英語。
進級に必要な単位は2単位。
つまり半年間だけ、たった1つの授業をとれば4年生になれる。
ということは、毎日ヒマヒマ。
ここで気になりだしたのは、高校時代挫折した英語。
英語の授業でもとってみるか~、と単位にはならない
英会話などもろもろの授業を取ってみた。
帰るのが早いから、自宅の近所で英会話教室にも通った。
大学のECCサークルに入ろうかと本気で迷ったけれど
やめてしまったことを今でも後悔してる。
英語についてはこの後15年くらいしてから
役に立つことになったのだけれど、この時は
そんなこと思いもよらなかったよ。

いろんなことが、不思議と流れるべき方に流れていくと
思い返せる大学時代だった…続く。

2012年9月26日水曜日

模索 青年編まとめ【国語担当】


浪人時代の話を数ちゃんの長男君に…そう言えば、
かなり大袈裟に…した。ごめんね。
単身ブラジル(比喩)な訳だから、戻れないし、
追いつめられている状態で…合格発表で自分の番号を
探す→探す→見当たらない→探す→探す→見当たらない
…なんて夢ばかり見るし。おちおち寝てもいられず、
布団に寝るのは夕方仮眠をとるだけの時間で、あとは
眠くなると机に突っ伏して寝た。
でも、今思い返すと、一番「充実」していた1年間だった!
そして、一番「後悔」の多い大学生活。ただ、なんとなく
大学に通い、講義を受け、いくつかのサークルを巡り、
バイトに明け暮れ、実りのない恋愛をし(男を見る目がなかった
ということ…涙)、4年間はアッと言う間に過ぎた。  

「アイデンティティー」について。自己同一性…と訳され、
本来の自分らしく生きること…と曲解され、流行語化した言葉である。
似たような展開をした言葉に「コンプレックス」がある。
これも劣等感…と曲解されているが、本来は「心の複合体」
というような意味合いだ。「アイデンティティー」とは…自分は
何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念のこと。
そう…はっきりと定義付けできない観念的な言葉なのだ。
「アイデンティティーの模索」などというと、ものすごい哲学的な
考察をしているかのように聞こえるが、本来、それは漠然としたもの
であり、「アイデンティティー」の確立なんて、成し得ぬまま、
人は、死んでいくのではないだろうか…と思っている。

青年期、自分の成すべきことがわからないまま、そして、深く
考えることもせず、なんとなく日々を過ごしてきたことは、
最も後悔することであった。が同時に、「自分とは何か?」などと問うには
時間軸も空間軸も未熟であり、また、未熟ゆえに、宗教や思想に
偏る嫌いがあっただろう。


さて、就職するにあたり、私も、ようやく本編の第一歩を
歩み始めることになる。ということで…続く、ったら続くのだ。

2012年9月22日土曜日

高校生になったら【数学担当】

国ちゃんの浪人時代の話は、大人になってから詳しく聞いたけれど
それはそれは、かなりの猛勉強ぶりだった。
昨年長男が大学受験の時に、国ちゃんの話を半ば脅しのように伝えたら
長男は「絶対浪人はしたくない」と言い切ったくらい。
この辺のくだりについては、折を見て国ちゃんから話してもらうとして…

国ちゃんと同じA女子高へ入学した私はというと…。
あちこちの中学の優秀な生徒たちが集まってきているから
もうみんなの賢さは言うまでもない。
すっかり自信をなくしちゃった。
特に英語。ちょっとばかり英語に自信があった私だけれど
幼稚園から続くミッションスクールから来た
彼女たちの英語の発音のきれいさに、もう驚き。
それに加えて、英語の先生がものすごいスピードで授業をして
ものすごいスピードで、次々あてていく。
完璧に落ちこぼれた。 ((+_+))
どんどん成績は下がっていって、結局志望校にはどこも不合格。
滑り止めで受けた大学に入学。

今思えば、ろくな受験対策もしていなかった。
過去問対策なんてしたかな~。
そりゃ、どこからも合格がでないよな、と今なら冷静な判断ができるけど
高校生の時は、なんかどこかへ合格しちゃう気がしてたんだよね。

そして大学生活。
やっぱりそれなり…っていうのが最初の印象。
仮面浪人しようかな、な~んてことも考えた。
だけど人間って、流されちゃうものなのよね~ (--〆)



2012年9月19日水曜日

模索② 青春編【国語担当】


数ちゃんの幼少時代は意外だったなぁ~。
野山を駆け回るイメージなかったから。
さて、前回の続き…地元では名高い歴史ある進学校…A女子高校。
私の父は、兄弟姉妹8人全員、女子はA女子、男子はA高校出身。
むろん、いとこ達も!親族が集まる場ではそれぞれの校歌を合唱する
習わし(汗…)があり、A女子校に入学することは、私の最初の
ミッションでもあったのだ。そのミッションをなんとかクリアして
入学したA女子校は、「パプリカ」をはじめとして、「れんこん」やら
「マッシュルーム」やら「パセリ」やら、田舎では見たことのないような
面子揃い。そこで数ちゃんにも出会った。数ちゃんは野菜に例えると
「冬瓜」(形じゃないよ!中味…白くて、やわらかくて美味!大好き!)
部活には入部したものの、高1の夏に母親代わりの祖母が
倒れて入院してからは、看病や家事手伝いもあり、退部。
勉強にも身が入らず、これといった将来の目標も見出せないまま、
大学受験に挑み、失敗↓。すっかり途方に暮れて自宅に引きこもっていた。
そこに小6の時、あの家庭学習グラフを考案した担任のY先生が
ひょっこり訪ねてきた。どうしたものか思案している、と
相談すると、「人生は長い。1年くらい自分の力を試す為に多少
遠回りしても、いいんじゃないか。あの頃みたいに夢中で
勉強してみたらどうだ…」と。その言葉に突き動かされるように、
私は父に泣きながら「東京で、一人で、浪人したい」と告げた。
当時、女子が、東京で下宿し予備校に通う(浪人する)などということは、
今でいえば、サッカー教室に通っている娘が単身ブラジルに武者修行に
行くようなもので(ニュアンスわかる?)大変なことだったのだ。
数日後、しぶしぶ了承した父とともに、軽トラックに勉強机だけ乗せて、
上京した。半身不随の祖母が、店の前でいつまでも手を振る姿が、
軽トラックのサイドミラーに映り、涙が溢れて止まらなかった。
忘れもしない19823月のことだ。
そして、1年後、無事入学した大学の面々は、「ゴーヤ」や「空心菜」
「ズッキーニ」など、今まで見たことも聞いたこともないような
野菜だらけだった…。

2012年9月15日土曜日

中学時代のきっかけ【数学担当】

国ちゃんと知り合ったのは高校時代なので
そのころの彼女は全く「ごぼう!?」ではなかったから
小学生の頃の話は意外な感じ。
では私も、国ちゃんの知らない時代の話をしようかな。

うちの実家はとてつもないド田舎なので、小学校の頃は
毎日裏山に行って猿のように駆け回っていた私。
クリとか木の実とかを採って食べたりもしていた。
山の奥に入ってしまい道がわからなくなったら
沢をつたって民家のあるところまで
下りてくる術を知ったのもこのころ。

中学生になってからは、自転車通学。
白いヘルメットをかぶらされて、ダサイのなんの (-_-;)
あるときは、坂を下りるとき、コントロール不能になり
脇の田んぼへ突っ込んだ。

そんなおサルが、何を勘違いしたのか
「私って勉強できるじゃん!」と思い始め
授業中騒いでいる人がいれば
「静かにしてください!!」な~んて言っちゃう
嫌味なクラス委員長タイプに変身していた。
今思い出しても恥ずかしい↷
恥ずかしすぎて、中学の同窓会なんて行けないもの。
何がきっかけでこうなったか…と考えてみると
先生に褒めてもらったとか、定期テストの結果が
順位というわかりやすい指標で表されたこととか。
もうプライドくすぐられ過ぎ、私にピタッと合った。
まあ、こんな感じでやる気を出させるということは
ある意味、今の仕事に生かせることが出来ているので
今となってみれば悪くなかったけどね。
(生徒さんのプライドくすぐりまくってます (^_^)v )  

でも、高校に入ってからはまたまた
カルチャーショックを受けたわけで…
いやいや、この話はまた。
長くなりそうだもの。

2012年9月12日水曜日

アイデンティティーの模索①【国語担当】


「自分」の幼い頃の記憶…それは、かなり断片的だが、
いつも人の後ろの方にいた。引っ込み思案。
色黒でやせっぽちで、かわくない。野菜に例えると「ごぼう」。
活発ではあったが、ひっそり…「活発」。
何かに登ったりぶら下がったりしているのが好きで
みかねた(?)祖父が鉄棒を買ってくれた。いつも家の
裏にある鉄棒にぶら下がり、(一人で)ぐるぐる回っていた。
隣に住む洋装店のA子ちゃんは、「魔法使いサリー」ちゃん
みたいなショートカットの可愛い女の子。みんなの
人気者で、絵も上手、成績優秀(オール5)・運動神経抜群。
いつも洒落た手作りのワンピースを着ていた。
野菜に例えれば…そう「トマト」!
小学校4年生の時、突然A子ちゃんが転校。
それが私の転機だった…A子ちゃんみたいになりたい!
勉強も運動も頑張る。係の仕事も進んでする。
目立ちたがり屋になった。長と名のつくものには、立候補し、
スポーツの大会があれば、代表に選ばれるよう努力した。
家庭学習競争(当時、先生が競争意識を煽るため、棒グラフで
表していた…今でいう営業成績表みたいなもの?!)も全教科
トップを目指した。突然『出る杭』となったのだ。
「ごぼう」が「きゅうり」くらいにまでなっちゃったようなもの!
で…高校でA子ちゃんに再会。「トマト」は「パプリカ」みたいに
なっていた。校則で禁止されていたパーマをかけ、スカートは
長め(当時は丈が長いほど…ワル)。学生カバンはぺちゃんこ
(ぺちゃんこであるほど…ワル!)。遅刻・エスケープはしょっちゅうで、
その自由奔放ぶりに衝撃を受けた。A子ちゃんは「高校入るまでに
やりつくしたから、もういいの!好きなように、自由に
生きるって決めたの!」って長いスカートをひるがえし、
「これからデートなんだ!バイバイ!」…。
私は何者なんだろう?!…と思った瞬間。

2012年9月8日土曜日

小学生の頃【数学担当】

国ちゃんの昭和な夏休みを読んで、懐かしかった。
そうそう「夏休みの友」あったね~。
どこの学校でも同じテキストだから
学校によっては習っていない単元が入っていたりして
まったくちんぷんかんぷんのページは
夏休みの最終日になっても空欄はうめられなかった。
祖父に描いてもらった風景画は妙に上手すぎて
教室の後ろに一斉に貼られたときには
子供ながら、さすがにズルがばれたと思った。
自由研究はいつも母が手伝ってくれていたのに
ある時からほったらかしにされ
逆切れしてちょっと恨んだりもした。 (--〆)

中学や高校の頃も夏休みの宿題はあったはずだけれど
このあたりはまったく記憶にない。
だから私の小学校時代以降の記憶としては
次男の小学校の自由研究を手伝ったこととか
中学の理科の自由研究を家族総出でやったら
すっごいのができちゃって、それを見た高校の先生から
「ぜひ高校の自由参加の実験教室で一緒にやらないか」といわれた
と息子を半泣きにさせてしまったこととか
(あ~、おじいちゃんと同じことしてるわ…)
大人の理屈や理論での記憶しか残っていなかった。

小学校の頃の私は、ズルしたりダラダラしたり
いい加減なところばかりだったのに
大人になったら偉そうなこといってるな~。
宿題をさぼっちゃった生徒さんとかの気持ちも
(そうは言わないけれど)わかってたはず、と
ちょっぴり反省でした。


2012年9月5日水曜日

昭和な夏休み【国語担当】


1970年代、数ちゃんも私も小学生…当時、
「夏休みの友」っていう課題冊子あったよね?
3050ページほどの冊子で、教科ごとの復習問題や
課題図書(読書感想文用)・自由研究のすすめ…等が
綴られていた。 夏休みは、1ヶ月。真ん中あたりに
登校日があった。夏休みは毎朝、ラジオ体操(町内会主催)。
ラジオ体操カードにハンコをもらい、肝油を1粒もらう。
帰り道、自由研究の昆虫採集や押し花用の花を探す。
蚊に刺される→自宅でキンカンをぬる→とてつもなく沁みる↓。
朝食はもっぱら、夏野菜と納豆。水分補給の基本は、麦茶。
ヤカンごと冷蔵庫に冷えていた。
涼しいうちに勉強しなさい…と言われ、午前中は
「夏休みの友」。昼食は「ひやむぎ」。今でいう素麺なの
だが、色つきの麺が何本か入っていると、妹と取り合いに
なったりした。午後は、昼寝を言い渡され、扇風機を
回し、お腹にタオルケットを掛けて、ゴロリ。
おやつは「とうもろこし」か「スイカ」が定番。来客時は、
カルピス(もちろん原液を水で割って飲む!)。
暑い…なんて言うと、「夏は暑くて当たり前」とバッサリ。
夕飯は、またまた夏野菜と冷ややっこ。夕方になると、
蚊取り線香を焚き、夜は、緑色の蚊帳を吊ってその中に
布団を敷いて寝た。プールといえば、学校のプールのみ。
母の実家が猪苗代湖のすぐ近くで、夏休みはいとこ達が
大勢泊まりに来ていて、私たち姉妹も1週間くらい滞在した。
なんたって猪苗代湖は、無料で泳ぎ放題!(私は猪苗代湖を
海だと思っていた…向こうに見えるのはアメリカ!って
…実際は、会津若松↓)。
私は実家が商売をしているので、家族旅行に行ったことが
ない。6年間で一度だけ父がいわき市にある「ハワイアンズ」
(当時は「常磐ハワイアンセンター」と言った)に連れて行って
くれた。これも、マジで「ハワイ」(アメリカ!)だと思った…。
「昭和の夏休み」は、ある意味…平和だった。

2012年9月1日土曜日

夏休み終了【数学担当】

9月に入り、長~い夏休みが終了しました。
(あっという間だったよ、っていう人もいる?)
夏期講習は、小学4年生のかわいい子から
高校3年生の大学受験目前の生徒さんまで
多くのメンバーが参加してくれました。
今年は、中学受験・高校受験・大学受験と
受験を控えた生徒さんがいたので
みんなのリクエストに応えられる様に
私も普段以上に勉強して、充実した休みを過ごしました。
授業時間と授業時間の間に少し余裕があることもあったので
そんな時間を利用して、普段できない
雑談などもできて楽しかったな~。
生徒さんの日々の生活が会話から垣間見えて
一層親近感を持ちました。
どの生徒さんも、お母さんや兄弟の話をしてくれて
(なぜかお父さんの話はでてこない)
おうちで愛情たっぷりに育てられているのね
と感じた次第です。
さて、我が家でも次男が今日から学校。
1か月半ぶりのお弁当作りは、なんだか調子がつかめず
とっても手際が悪くて、時間がかかりました。
さてさてこれで、また普段の生活に戻ったわけで
映画に行ったり、ビーズ教室に通ったりと
私の時間を楽しめそうです。
あ、大学生の息子はまだ夏休みだった↷↷
9月の下旬まで夏休みだそうで…
大学生の休みって長いのね~↷↷