2015年3月28日土曜日

ミュージカルサークル

長男がミュージカルのサークルに入っている。
先週末その公演があった。
しかし、今回は彼は役者で出ていない。
小道具係とかいう、舞台で使う小物を作る担当だったのだ。
それでもわざわざ観に行くっていうのは、かなりの親バカ(>_<)
息子が作ったという、おしゃれな傘や大きな筆など
「あ~、あれね~」と喜んでいたわけだ。

年に2回ある定期公演は大掛かりで、2時間弱のお芝居となる。
今回は中世ヨーロッパがベースになっていて、市民の弾圧や芸術の向上
そしてお約束の恋愛ものなど、それなりに整っていた。
主役の男の子がとても上手(城田優風)で、すっかり魅了されてしまった。

でもな~、やっぱり自分の息子が出ている方がいいな。
今度いつ出るの?って聞いたら
ゼミが忙しいからな…と、つれない返事。
確かにお勉強は大事なんだけど…ちょっとつまんない。
しかたなく、息子が出た時の公演のDVDを再度観て…って、親バカだわ。

2015年3月21日土曜日

インディアンウエルズ

テニスの錦織圭選手の活躍がめざましい。
昔からテニス好きの私としては喜ばしいことだ。
特に、以前は全くと言っていいくらいニュースにならなかったテニスの試合が
彼が活躍するようになってからというもの、テレビや新聞で目にすることが多くなった。

今回4回戦敗退と残念だったBNP パリバ・オープン。
会場となっているインディアンウェルズは私にとって懐かしい場所である。
10年くらい昔CAに住んでいたが、毎年インディアンウェルズに観戦に行っていたのだ。
砂漠の町パームスプリングスそばにあるこの場所は
この季節でも真夏の気温で、ノースリーブに短パン・帽子は必須で
大量の水を車に積んで出かけるのがお約束だ。
入場券としてメインスタジアムの席を購入しておけば
あとはどこでも自由に出入り可能。
まわりにある何十ものテニスコートで、選手たちが試合をしているのを間近で見ることができる。
そもそもメインスタジアムの試合はよっぽどすごい選手やファイナルに近い試合しかやらないから
基本的にはこの周りのコートでやっているのだ。
無名の選手も沢山いるいるから、ガラガラの観客席もある。
でも、何故か人が押し寄せているコートもあり
それは接戦試合だったり、ランキング上位の選手を相手に無名選手の健闘が見られたりしている
試合であったりするのだ。

女子ダブルス第一シードのチームに競り勝った試合を観戦した時は、
応援する側も力が入り、
男子ランキング一桁の選手相手に健闘していた無名選手の戦いぶりには
他の会場すべての試合が終わっても帰宅する人はいなかった。
のちに彼らが活躍するようになり「ああ、あの時の…」と親近感を覚えた。
先の女性選手はシャラポア、男子選手はナダルだった。

錦織の暑そうな顔をみると「そうだよね、あそこは暑いんだよね」と懐かしく思う。

2015年3月14日土曜日

国ちゃんお疲れ様【数学担当】

当初一人で始めたこのブログを、国ちゃんと二人で交互に書く形体に変えたのは2011年からである。
国ちゃんの初投稿は2011年6月「国語教室より健闘メッセ―ジ」という題だった。
まだ今のような着かず離れつのリレー形式ではなく、それぞれに思うことを投稿していた。
お互い「国語担当者が…」等という代名詞で相手を示していたのを
国ちゃん・数ちゃんという名で呼び始めたのが2012年5月。
この頃から互いに興味のあるテーマだったら内容を引き継いで
数回に渡って記載したりしていた。
また、二人で遊びに行ったり、話をした内容についてのことなども
相手の呼び名が決まってから書きやすくなった。
前回の最終稿まで3年10か月トータル192投稿。
国語に関する真面目な話から、年始恒例の紅白歌合戦談。
国ちゃんのいろいろな面を見せてくれた。
長い間お疲れ様でした。
これからも気が向いたら投稿してね。待ってます。

こちらのブログは来週から私、数ちゃんから週一で更新予定です。
引き続きよろしくお願いします。

2015年3月11日水曜日

総括【国語担当】

このブログに投稿文を掲載するにあたり、留意した点がある。
政治・思想・宗教に関することで、特定な何かを推奨したり、断言したりしない。
個人情報に関することを書かない。デリケートな内容には、特に配慮する。
で…あくまでも「国語教室」という観点からである。

私の投稿文を読むことで、「へぇ~」とか「マジか」とか「ウフフ」なんていう
(琴線に触れる…なんておこがましいことは言わない)
ちょっとした心の動きが起こることを願いながら、書いてきた。
もちろん、その中核は、語彙力強化、一般教養補填、作文・小論文対策、参考文章…である。
時には脱線もあったが、毎回何らかの「学び」を織り込んできたつもりだ。

人生は「必然」か「偶然」か…という永遠のテーマがある。
私は「必然」の連続であると考える。
それは、そう考えることが、自身の「成長」につながると思うからだ。
生き抜くヒントを得られると考えるからだ。
身に起こる全てを「負」と捉え、他人のせいにして、何かにつけ羨んで生きる人生は「辛い」。
そこから得る学びは「負の学び」である。

自分にとって「苦」の事象が起きた時、「何か自分にも原因があるのでは…、これは契機なのだ」と発想の転換を図ることが…
つまりは「正の学び」であると、私は考える。

若い頃はそれなりの夢や野望もあったが、半世紀を生きた今
自分の無力さを思い知り、私にあるのは「祈り」である。
私自身が願う「今世における私の使命」を全うできますように…という「祈り」である。
魂の故郷に帰還する時に、私は私のアイデンティティーを思い知るのではないか…ということは、
すでに述べているがそれが、私自身が願って止まない「使命」であることを祈る毎日である。

これをもちまして「最終稿」と致します。また、いつかどこかでお会いできることを願って…。

「完」

 

2015年3月9日月曜日

卒業式【数学担当】

次男が先日高校を卒業した。
中学高校と六年間お世話になった学校である。
真面目な顔をして入場してきた姿に早くもウルウルし、
卒業の歌「旅立ちの時」を聞いて涙が流れ、最後に退場する姿にまた涙した。
思えば中学入学の時、自分の思う先に進学できなくて、縁があったこの学校にきたけれど
本人としてはなんとも気持ちの整理がつかず、不貞腐れて入学式を迎えた。
それが六年たった今、大層楽しそうに友達と話し
先生にもたくさん声をかけてもらいながら卒業することができた。
この学校はやっぱり、彼にとって一番合っていた所なんだと思う。

私が高校入学の時は、自分が進学したかった学校だったけれど
同じ中学から進学した友達は誰もいなくて、不安を感じていた。
自分以外のみんながとても優秀に見えたし、おしゃれな子たちに見えた。
初めて声をかけてくれたのが国ちゃんだった。
一緒に食べ歩きに行ったり、会津旅行に行ったり楽しかったな~。
幕張地区に国ちゃんのダンナさんが転勤になったと聞いた時には狂喜乱舞!
同じこの地域に住めるなんて夢のようだった。
私たちは今同じ仕事をしているパートナーだけれども
プライベートで会うときは今でも高校生の気持ちだ。

息子にもそんな友達がいたなら嬉しい。
いつもべったりじゃないけれど、着かず離れず。
だけれど長~く付き合える友達…素敵だよね。

2015年3月4日水曜日

千葉万歳!【国語担当】

卒・千葉記念第2弾。

数ちゃんに「千葉でしたいこと100…考えて」と提案され、う~ん…と思い悩む日々。

思い起こせば、福島県郡山市を出てから、東京都目黒区、三鷹市、埼玉県蕨市、
東京都大田区蒲田、埼玉県さいたま市、北海道苫小牧市、神奈川県横浜市戸塚区、
秋田県秋田市、そしてここ…千葉県千葉市美浜区にやってきた。
最後(おそらく)は、神奈川県藤沢市である。

北海道や秋田は、独特の風土があり、他にはない100…くらい書き出せそうだが、
千葉(特に美浜区)は、関東圏内で、同じようなお店や場所が、遜色なく存在し、
突き詰めていくと「神奈川にもあるし…」とか「近いからまた来れるか…」
と思ってしまう。

千葉県匝瑳市に友人が住んでいて、数年前、数ちゃんと訪ねて行ったことがある。
成田から海岸に向かって走り山沿いに右折すると、
その道はすれ違うのも困難な細い道で、ガードレールも街灯もない。
タヌキやイノシシが出そうな山深い場所に友人の家があった。

「最近、ようやくトイレが水洗になったの。光回線はまだきていないよ」と話していて、
これが同じ千葉かと驚いたのを覚えている。
帰りにはおじいちゃんが海で釣って来たという、とれたての「イカ」をお土産に頂いた。
それも千葉の思い出である。

8年前、数ちゃんに導かれるように越してきた時は、ベイタウンの洗練された街並みや、
住む人々のハイセンスさ、ハイレベルさに圧倒されたっけ(今でもそう思っている…)。
震災で、液状化を目の当たりにし、建物なども半壊。
街全体が打撃を受けたが、海浜幕張駅は、綺麗な駅ビルとなって生まれ変わり、
コストコ周辺にはイオンモールができ、今年の夏には、アウトレットも拡張工事完了。
今度、訪れる時には、幕張総合高校周辺や、イオン幕張近辺が、
すっかり変わってしまっているのではないかと思う。

数ちゃん…いつか…数年後か…数十年後か…海浜公園の花時計で待ち合わせをして、
桜やツツジを愛でながら、思い出話をしようね。そう…100の思い出話を…ね。