2012年11月28日水曜日

危険!【国語担当】


芋煮会…あった・あった!恒例行事のひとつ。
ウィキペディアでは、主に東北地方で行われる季節行事と
ある。秋の風物詩だ。秋といえば、河原で芋煮会だった!

食の思い出…私の家庭は、祖母が家事一切を切り盛りしていた。
酒屋を営んでいたので、母は「従業員」のひとりだったのである。
以前、誕生会に「どじょう鍋」のことを書いたが、洋食といえば
カレーくらいなもので、おやつも「漬物」「いちじくの甘露煮」
「夏ミカンの皮の砂糖漬け」って具合。友だちの家で、
ホットケーキを焼いてもらった時、気絶しそうになった!!!
郡山(私たちが「都会」と称した町)で「ナポリタン」を食べた時も
軽く気絶した…。
高校生になり、祖母が入院し、母が家事全般を行うことになった。
その斬新な手法に…完全に脱帽↓
寒くなってきたからと、クリームシチューを作った母。
じゃがいもかと思い、食したら「サクッ!」といったので
何かと聞いたら、「秋だから、梨!」。「梨」はクリームシチューには
合わない↓もちろん「柿」も↓むろん「カレー」にも入れちゃダメ!
お弁当もすごかった。数ちゃんとは同じクラスで毎日一緒に
お弁当を食べていたから、覚えているかな?!
「なんか今日は重いな~」と思っていたら、おかず入れに
コンビーフの缶詰めがそのままの状態で入っていた。
頭がよくなるよ!とか言って「ごま」に凝っていた母は、
卵焼きに黒ゴマを混ぜて焼いて、お弁当に入れた。お昼には、黒ゴマが
卵焼きに染み、変色。数ちゃんに「腐っているよ!危険!」と言われた。
実家に帰省すると、母は、相変わらず斬新な料理をふるまってくれるが、
不思議なもので、懐かしく、美味しい……気がする。
私の「おふくろの味」のアーカイブは、きっと、なんかジャンクな感じ?!
んだろうな。

2012年11月24日土曜日

田舎を思い出す時【数学担当】

国ちゃんの「死語の世界」
そうそう、そんな言葉あったあった!
使っていたかどうか…微妙ではあるが(特に前半)
確実にその活用方法は熟知している。 (>_<)

最近私が耳にした死語。
…うわっぱり…
寒くなった時に一枚羽織る、ジャンパー…あ、これも死語か…
上着のことです。
もう一つは
…ぺったらっこく…
平らに…という意味なんだけど、これは死語?それとも方言?
ニュアンス的には、平らに…というより
もっと平べったく、ぴったりと地面にくっついて、という感じが
表れている。
どちらの言葉も、耳にしたときに「懐かし~!」って思った。

先週末近所で開催されていた朝市へ行ったら「芋煮」が売っていた。
芋煮とは、サトイモをはじめ野菜を中心にして
お肉もちょっといれて煮込んだ汁物。
けんちん汁とどう違うかって言われちゃうと、難しいところなんだけど
その製作過程が違う。
まず、正統な芋煮は「芋煮会」という会の中で調理されるもの。
芋煮会は、鍋や材料を持って河原に行って
石でかまどを作って、そこで調理する。
私が子供の頃は、小学校や中学校の毎年恒例の秋の行事だった。
田舎のバーベキュー大会のようなもの。
本当は上記のけんちん汁のようなものを作るのだけれど
中学生くらいになると、カレーとか、おでんなんかを
作ったりもして、でも大きなくくりとしてこれも芋煮会。
早速一杯購入、その場で食す。
あ~、この味この味。
忘れていた田舎の記憶が一気に戻ってきた。
友達の顔とか、河原のごろごろした岩とか、あの時の匂いや味。
川の水がどれだけ冷たかったか、学校のジャージ…ダサかったな、とか。
昔の音楽を聴くと、そのころの時代を思い出すってことはよくあるけれど
味覚で記憶が戻るっていうことがちょっとした驚きだった。
なんか、ちょっとよい週末でした。

2012年11月21日水曜日

死語の世界【国語担当】


数ちゃんが、教えてくれた読書のサイトに行き、私が
最近購入した本の名前を入れて、検索してみたら、同じ本を
読んでいる人が何人かいた…受験生と同業者だった…。
どうなんだろ……微妙……

先日、知り合いの男性(50代後半)に御礼を言われた。
洒落っ気たっぷりに「恐れ入谷の鬼子母神!」と…。
余りにも懐かしい言葉だったので「当たり前だのクラッカー…
依然の問題ですよ。死語どころじゃない。その言葉はもう成仏して
しまっていますよ。」なんて言い返した。
死語とは、使用者がいなくなり、使用されなくなった言葉。
かなり、淋しい…。そういえば、他にもあった!
語尾に「洒落」を加える言葉、で、死語。でも、どこかで耳にする。
「その手は桑名の焼き蛤」「来たか長さん、待ってたホイ」
「合点承知の介」…これはもう、成仏語!
「そんなバナナ」「腹立つのり」「許してちょんまげ」…死語!
最近「お疲れサマンサ・ターバサ」って竹之内豊が、あるドラマで
言っていたけど、それすら、もう死語らしい。現代語は、やたら短い。
「マジ」「きもっ」「てか」等々。語尾にそんな洒落を施す余裕はないだろう。
衣類に関する用語は、本当に「世代」を感じる。
「白いとっくりのセーター」って言われた時、ものすごく古臭く感じた。
「白いタートルネックのセーター」のことだが、もしかして、商品自体、廃番?!
で、「ジーパン」も「パンタロン」も「ホットパンツ」も死語!
「ちょっき」も「バンド」も「つっかけ」も死語!
もしかして、使ってしまっている? さて、現代語が何だかわかる?
「デニム」に「ブーツカット」に「ショーパン」
「ベスト」に「ベルト」に「サンダル」だ。
死語の世界って、でも…なんだか、懐かしいでしょ?!
他に、最近耳にした「死語」があったら、教えてね。

2012年11月17日土曜日

憧れから発展するもの【数学担当】

大人になってから、同性のお友達に惚れることが多くなった。
若いころは、惚れるのは異性であり
同性はある意味ライバルであったけれど
すっかり異性に興味がなくなった今となってからは
気になるのは同性の友達。
いや、この感情はむしろ
キャ~、西城秀樹好き~❤ というものに近い。
(そういえば国ちゃんと秀樹のコンサートへ行ってYMCAを踊ったっけ)
そういう友達がおススメするものは一応チェックしてみるし
生き方そのものにも、近づきたいなと思うことが多い。
国ちゃんのブログを読んで、これが「羨望」というものなのだろうか
と思った。
「羨望」…悪くない感情だね。方向さえ間違えなければ
自分を向上させる原動力になる。

何人かいるそういう憧れの友人の一人と読書の話をした。
お友達と本の話をするのは好き。
自分が知らなかった面白い本を発掘できるし
同じ本を読んでいたりすると、気持ちを共有できるから。
そこで教えてもらったのが、「読書メーター」というWebサイト。
自分の読んだ本を登録すると、同じような好みの他のメンバーを
リストアップしてくれるというもの。
自分の読書量の管理もしてくれる。なかなか面白い。
私としては、自分の読んだ本の評価を保存しておきたかったので
もう少し違うのないかな~と探した結果見つかったのが、
ブクログ」。これは私にあっていて、使い勝手がいい。
読書メーターと同様に、似たような趣味の他のメンバーがわかる。
早速そのうちの一人をチェックしてみると
理系の大学院で勉強する女性だった。
プライバシーの観点から、個人の詳細はわからないけれど
自分と似たような人が、似たような本を読んでいるっていうのが
興味深かったよ。お時間のある時にWebサイトの覗いてみてね。



2012年11月14日水曜日

羨望【国語担当】


「劣等感」が芽生える前段階で、他者に対し抱く自意識の中に、
嫉妬や羨望や自己嫌悪といったものがある。
自分と異なるものや、自分から見て良く見えるもの、
自分が欲しいものなどを持っている相手を快く思わない感情のこと。
「嫉妬」は主に三者間で芽生えるもので、独占欲とそれが犯される
危機感が条件。二者間での「嫉妬」は成功・名誉・他者からの賞賛で現れる。
似た感情で、「羨望」というのがあるが、これは、他人の属性
(容姿・才能・資格・学歴等)や所有物が対象。羨ましく思う気持ち。
そして「自己嫌悪」は自分で自分が嫌になる状態で、何らかの失敗を
してしまったと感ずる時などに湧き上がる感情のこと(数ちゃんが
コンプレックスと感じているのは、この自意識からくるものかも)。
これらの感情は、総じて、興味のないものには上がってこない感情だから、
興味ある対象に、興味ある分野でのみ湧きあがる感情という意味で、
数ちゃんの認識は正解!しかしながら、これも人それぞれってことだ。
ただ、「自分にはない!」という思いの裏返しだから、自分にはないと
自分で認識しているだけで、他者から見れば、十分に持ち合わせて
いる場合もある。これまた上を見てもきりがないし…ってやつ。
「貧乳」である劣等コンプレックスを克服した…と書いたが、前段階での
自意識に「羨望」はなかったか? 「貧乳」のメリットは何か…と
考えた時に、「身軽・よくわからないけどエコ・狭い所もすんなりくぐれる」
くらいしか思い浮かばす、これは、果たしてメリットか否かという
論点に至る始末。私が劣等を認識している「女性」の外観としては
むしろ「劣等」に当たるのではないだろうか。オッパイといえば
「母性の象徴」いや、「女性たる象徴」ではないか。そう考えると、
「貧乳」を認識した段階で、寄せたり、上げたり、入れてみたりと努力したのか。
結局「興味がなかった」のか、とすれば、それ自体「女性」として
いかがなものか…というネガティブなスパイラルに(またまた)陥っていく訳である。
爆乳への「羨望」は限りなく認めよう。机にオッパイをのっけて
「あ~ぁ、重い…」なんて呟いてみたいから。

2012年11月10日土曜日

なりたい自分【数学担当】

随分昔の話になるが、
人はみな、心の奥にある「そうなりたい自分」を持っている(けれどなれない)人に対して
不快感を持つ
という文章を読んだことがある。
やっかいなことに「そうなりたい自分」というのは、本人自身が気づいていないことが多く
だからこそ、なんとなくムカついたりしちゃうらしい。
ごく稀にだけれど、なんか意地悪されちゃってる?って時
「ほっほ~、この人は私みたいになりたいのね。憧れちゃってるのね。」
と思ったりする。
するとなんだか、いろんなことが気にならなくなったりして
この話を読んでからは気が楽になった。

国ちゃんはオッパイについて、「そうなりたい自分」には含まれていないみたいだから
胸の大きさに自信のある私についてムカついたりはしていない…よね。
私自身は高学歴に対して「そうなりたかった自分」があり
若いころの不勉強さが「そうなれなかった自分」にしてしまった
と今でもコンプレックスに感じている。
お友達が「私たち津田塾で先輩後輩だったんだよ」なんて言っているのは
すごく羨ましいと思ったし
国ちゃんの早稲田卒には、憧れがある。
でも、国ちゃんにムカついたりはしないわけ。
思っているほど、実はコンプレックスになっていないということなのか。

一方で、時間にルーズなことについては、ちょっとムカついたりしてしまう。
自分が最後に到着したりすると、それが待ち合わせ時間内であっても
なんだか遅刻してしまったような気になる。
ましてや、遅れていった場合、実はずっと密かに反省している。
だからいつも決まって遅れてくる人はちょっと苦手だった。
それって本当は、時間にとらわれない自分になりたいってことなのかも。
学生の頃はかなりの遅刻魔だった私。
社会人になってから徹底的に叩き直された。
今日もこのブログを書くのに、もう1時間経過。
あ~、もう時間が…遅刻する~ (>_<)

2012年11月7日水曜日

コンプレックス【国語担当】


コンプレックスとは、単純に訳せば「感情複合」。
もともと心理・精神分析用語で、無意識のイメージが感情を
伴って複合している状態を言う。この語が、ある学者の
人格心理学(劣等複合の克服を通じて人格の発達が成立する)の
中心概念と結びつき、日本に浸透。コンプレックスといえば
暗黙のうちに劣等コンプレックスを指すようになった。
アイデンティティーのように誤用された和製英語の一つである。
「劣等感」とは、他人に対して自分が劣っていると感じることであり、
劣等感は他者との競争意識から生まれ、競争面での挫折の結果
認識される感情である。
「劣等コンプレックスと言った場合は、必ず優越感もその中に
混入させているもので、感情の絡みつきのない、自分の劣等性の
認識は、むしろ劣等コンプレックスを克服した姿である。」
…と河合隼雄先生は書いている。
例えば、私は貧乳であるが、そのことに対して、平気で認めている。
貧乳であることで、私自身の人格の尊厳性を失うことはないと
感じているからである。つまり、貧乳であることについての劣等の認識は
自我の中で統合されており、何も安定をゆさぶられないからである。
そこで、前回登場したモンスターP…爆乳であった!
「私はHカップですが、あなたは何カップですか?」と自慢げに
と聞いてきた。Pはおそらく、爆乳であることに優越感を抱いているのだろう。
しかし、オッパイの大きさについて劣等コンプレックスを持たない私は
A!いや、むしろマイナス!」などと明るく答えることができた訳だ。
劣等感は人それぞれ。そして、軽度のものから、奥が深いものまで…
上を向いてもキリがないし、下を見てもまた、キリがない。
克服することで、更なる展望を生むであろうことは、わかっているが…
実際はなかなか難しい問題だ。そんな時は、「世界にひとつだけの花」でも
口ずさんで前向きに生きるのが得策!…かもよ。

2012年11月3日土曜日

頭が痛くなっちゃうの?【数学担当】

昨日の朝日新聞に
 数学が苦手な人は問題を解こうとすると頭が痛くなる…
http://www.asahi.com/science/update/1101/TKY201211010742.html?tr=pc
という記事が載っていたのをご覧になったかしら。
そんなにまで嫌われている数学。ちょっとかわいそう。
私の教室にくる生徒さんたちの入会理由のほとんどが
数学が苦手だから、というもの。
みんな頭が痛くなっているのでは?と心配になってしまった。(>_<)

一般的に、苦手意識を持って入会した生徒さんたちの
最初の1ヵ月はわりと穏やかに過ぎる。
なぜなら「全然わからないんです~。困ってるんです~。」って状態だったのが
教わりながら問題を解いてみたら、「あらあらできるじゃん!!」
っていうことになり、いい気分になるみたい。
「あれ、数学って結構簡単じゃない」って。
やがてその見通しの甘さに気づかされるのが、その後間もなく。
この時期に突入すると、ほとんどの生徒さんが泣きます。マジで。男の子も。
数学ができないというのは、圧倒的に勉強していないということがその原因。
そういう子供たちの勉強法というのは、
問題を解いて、丸をつけて、はい、おしまい!
間違えていても、解けなくても「はい、おしまい!」なの。
だから出来なかった時にその理由を追及していく授業というのは
苦痛なのだと思う。
出来ないという事実を突き付けられちゃうからね。
でも、3ヶ月から遅くても半年過ぎるころには
この学習のやり方に慣れてきて、解ける問題も増えてくる。
この勉強をしなくては、成績が上がらないということも身に染みてわかってくる。
授業はとても効率の良いものになり、自学自習ができる力もついて
そろそろ教室を卒業する時期になる。
こうなれば、頭痛もしなくなるよね。