2013年11月30日土曜日

千葉の穴場②【数学担当】

ふなっしー好き!ららぽーとで開催していた、ふなっしー展にも足を運んだ。
手作り感をかもし出すふなっしーらしい、手作り感満載の展示だった(>_<)。
でも、結構お客さん来ていたよ。

さて、先週に引き続き千葉の穴場。
前回も書いた稲毛あかり祭「夜灯(よとぼし)」、行ってきました。
「夜灯」についてはこちら
まだ開催してから8年しか経っていない若いお祭りなんだけれども
地元の人たちがみんなで参加しているという雰囲気が伝わり、いいお祭りだったな~。
飾られている灯籠は、近所の小学生たちが作成したもので
久しぶりにかわいい絵を沢山見てきた。これって、自分の灯籠を探す楽しみもあって
人を集める、うまいアイディアだと思う。
そういえば私も中学生の時、お盆に開催される灯籠流しのイベント用の灯籠を
学校で作ったっけ。あの時は川に流されていく灯籠のどれが自分のか
まったく判別できず、なんか意気消沈って感じだったけれど…。
稲毛の手作り灯籠の中には、大人の作品もあって
中には筆で詩か何かを書いてあるものもあり、それはまた趣があって良かった。
京成稲毛駅から、イベント会場までこの手作り灯籠が道案内のように
並んで置かれているのもよかった。
出店もいくつか出ていたけれど、どれも商店街や子供会のお店で
お値段もリーズナブル。コロッケ50円なんていうのもある。
学生にも優しい値付けだからか、男子高校生の集団がカレーを食べているのが
微笑ましかった。
小さな小さなお祭りなのだけれど、気持ちがふんわりとしてきて
温かいお祭りだったな~。
ぜひ来年、足を運んでみてください。

2013年11月27日水曜日

ひゃっほー!!【国語担当】

空前のゆるキャラブームである。
ゆるキャラ…ゆるいマスコットキャラクターの略。
漫画家、エッセイストである、みうらじゅん氏の考案。
ゆるキャラ三カ条
①郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること
②立ち居振る舞いが、不安定かつユニークであること
③愛すべき「ゆるさ」を持ち合わせていること
考案者は、更に付け加えている。
④いろんなものを盛り込み過ぎて、説明されないと何がなんだが
わからなくて、笑いを誘うようなところ
⑤突っ込みどころが多く、とんちんかんなところ
⑥深読みせず、行政・市民といったキャラクター作りの素人が
作るゆえの「ゆるさ」であること
そして「着ぐるみに魂が宿れば「ゆるキャラ」になる」と…日本独特の文化だ。

「ふなっしー」…船橋市を中心に活動するシンボルキャラクター。
2000年に一度だけ現れる奇跡の梨の妖精という設定。
大きな雄叫び(「ひゃっほー!!」)とともにジャンプする過激な動きが特徴。
「しゃべる」「ジャンプ」「汚い」…今までなかった「ゆるキャラ」の新しい形だ。
千葉には、公式キャラクターの「チーバ」君がいる。
「ふなっしー」は非公認。マイナーだった。
自発的に市内のイベントに登場するなど地道な活動を続け、
You Tubeで動画をアップすると、じわじわと浸透。
20132月、アサヒ十六茶のCMに出演し、メジャーデビューを果たす
今や強敵を差し置いてキャラクターグッズ売り場の目立つ場所に居座る。
11/25にはNHKニュース9に出演。単独インタビューを受ける。
自身の状況・立場を冷静に分析し、最後は、「ブームが去ったら、
保育園などを巡って、子供たちを楽しませたいなっしー」と語り、
アナウンサーに「感動しました」と言わしめた。
1127日(いいふなの日)には、ついにCDデビュー。
公式テーマソング発売予定だ…この勢いで紅白出場なるか?!

2013年11月23日土曜日

千葉の穴場【数学担当】

中学の国語の先生は、悪いことをする生徒の頭を
教室にある避難誘導用旗の柄で殴っていた。
角材である。これは紛れもなく体罰。でも当時は親がクレームすること
なんてなかった。今だったら即異動だ。
私はこの体罰を受けた記憶はない。光景の記憶だけだ。
一度も殴られなかった(自慢!…国ちゃんのマネ)。

さて時代はさかのぼり、昭和初期のお話。
中国ラストエンペラーと言えば、溥儀。
その弟の溥傑が千葉に住んでいたって話は、つい最近友人から聞いた。
百聞は一見にしかず。お天気もいいし、行ってみよ~と先週末くり出してみた。
愛新覚羅溥傑氏仮寓と呼ばれるその建物は、溥傑が新妻ヒロさんと暮らした
ささやかなかわいいおうちだった。
お庭に離れ…まさに日本家屋。私たちが訪ねている間にも何組もやってきて
隠れた観光名所という感じだった。
お靴を脱いで家に上がるという形も、誰かのお宅に伺ったというような
不思議な感覚があり楽しかった。

次に向かったのは旧神谷伝兵衛稲毛別荘。
神谷氏といえば、浅草神谷バーの電気ブランというお酒で有名。
私も浅草に行った折に、神谷バーで電気ブラン飲んだよ。
すごく流行っていて人がだくさん。しばらく待たされた。
さてこちらの建物は、神谷さんがいなげの海岸沿いに別荘として建てた
西洋建築のオシャレな造り。先の溥儀のおうちとは対極。
地下にワインセラーを持つのは、ワイナリーを持つ神谷氏ならでは。
建物は国道14号沿いの高台。この14号のところまで海だったそうだ。
海を高台から眺める別荘として有名だったらしい。

今週末は稲毛あかり祭。6千個の灯籠が並ぶ。
千葉もなかなかすてたもんじゃない。

2013年11月20日水曜日

油性ペン【国語担当】

中学時代の国語の先生。毎時間、漢字テスト10問。
間違えた数だけ、黒の油性ペンでおでこに×を書く。
全問間違えると×は、顔を一周する↓。
授業後、すぐ手洗い場で顔を洗う。水道の蛇口には、
黄色いレモン型の石鹸が入った、みかんの袋(オレンジのビニールのあみ)が
つるされていた。水は冷たく、その石鹸で、こすればこするほど、
肌は赤く腫れ、油性ペンのインクが、ただ広がるのみ。
終日、真黒い顔で過ごし、部活をし、そして帰宅することになる。
中学の同窓会で、この話題が出た。「消えなかったよね。」って。
今となっては、思い出話の一つである。

文部科学省による「体罰」の定義…「肉体的苦痛を与えるような懲戒」。
つまり、「体罰」とは親・教師・監督などが悪いことをした子を叩いたり、
長時間立たせるなどして、こらしめ、指導することである。
教育基本法第11条…「体罰禁止」とある。
体罰と指導の境界線については、どう考えるのか。
体罰だと非難された人が、体罰ではなく指導だと反論することがあるが、
指導的であることは当然であり、そうでなければ、ただの暴力、傷害である。
文部科学省は、こう付け加えている…「諸条件を客観的に考慮し、判断されるべき。
特に生徒一人一人の状況に配慮を尽くした行為であったかどうかの観点が重要」と。

では、「油性ペン」で顔に×を書く…これは、どうか?
客観的に鑑みて、「体罰」に値すると言えるのではなかろうか。
指導にしては、行き過ぎている。しかも、制裁を受けるメンツは、ほぼ一定で
効果がない。1時間目が、国語の授業だと、一日中苦痛を伴うことになる。
モンスターペアレント→即行、校長にクレーム→「油性ペン」での制裁禁止
→そして国語の先生は、異動…だ。
私には、この「体罰」を受けた記憶がない。光景の記憶だけだ。
おそらく、一度も書かれたことなかったのだと思う…(自慢!)。

2013年11月16日土曜日

リーダーを育てる学校【数学担当】

国ちゃんの投稿を読んで、先生たちに関する記憶がよみがえってきた。
生物のH先生のお弁当…秋刀魚丸焼き乗せ飯…は、先生の奥さんが看護婦さんで
仕事が忙しいから、お弁当は手抜きだったという噂。そして、食べ終わった後
職員室にある流しで、先生はいつもお弁当箱を洗っていた事実。
今奥さんになってみると、ダンナのお弁当を見られて想像されちゃうのって
ちょっと辛いな~↷

先日TVを見ていたら、愛知県の海陽学園の紹介をしていた。
中高一貫の男子校で、全寮制。創立8年という新しい学校だ。
8年前といえばちょうど長男が中学受験の年で、名古屋に帰国する友達もいたりして
(当時は海外駐在中)ちょっとした話題に上っていた。
なんでも、愛知県(というか名古屋市)は公立重視で中高一貫校が少ないとのこと。
名古屋がお膝下のTOYOTAが、駐在員子女の帰国後の受け入れ先を確保するために
投資して作った学校と言われていた。
名古屋と言えば東海中学・高校学校。今年も東大と京大に合計50名合格者を出している。
しかし、東海はいわば関東の開成、兵庫の灘レベル。とうてい帰国枠のない帰国子女には
足元も及ばないわけだ。そして、帰国にまだ数年ある保護者にとって、全寮制というのは
先に子供だけ帰国させるということができる、ナイスな制度なわけだ。
8年前は、まだ海のものとも山のものともつかないわけだから、お友達も
「ちょっと海陽に行かせるのはね~↷」と躊躇していた。
が…第一期卒業生は東大13名(現役のみ)の快挙。驚いた。
(結局友人の息子さんは高校で東海高校に入り、今は東大生。どっちでもよかったじゃん!)
なんでもこの学校の特徴は、リーダーを育てるということだそう。
いろんな企業から派遣された人がチューターと呼ばれる立場で
一緒に寮生活をして、社会で生かせる道筋を示してくれるということ。
長男と同じ大學の友達が、この海陽学園卒業で、以前内に遊びに来た時に
このチューター制度の話を聞かせてくれた。
詳しくはHPや雑誌などを見てもらえればわかると思うので割愛するが
彼は本当にチューターにいい影響を受けていて、普通の大学生より
一回りも二回りも大人に見えた。
将来の展望もはっきりしていたし、私はこの学校はいいな~と思った。
先のTVのコメンテイターは「みんながリーダーにならなくてもいいのでは」と言っていたけど
リーダーにならなくてもいい人は、この学校に来ないよ。
言っても年間200人ちょっとの卒業生。リーダーもそのぐらいで充分じゃない?

2013年11月13日水曜日

先生いろいろ【国語担当】

O先生、バレンタイン事件…あったね!!
数学のH先生(数ちゃんイチオシ)…実験もしないのに
なぜか、白衣着ていた。声、全然聞こえなかった↓。
英語(文法)の蛇○先生は、私のイチオシ!
ちょっと体弱そうで、ダンディーで素敵だった。

個性的な先生が多かった。
国語のS先生は、話すと口の横に「唾の泡」が溜まる。
適度な大きさになると、飛んでくる。
しかも、定期的に飛んでくる。
一番前の席は、最悪だ。飛んできた泡が、机・教科書・ノートなどの
上に落ちてきて、しゃぼん玉みたいに虹色を帯びて、息づく。
だが、しゃぼん玉ではない! 唾だ! 唾の塊だ! 最悪だ↓。
泡が気になって、授業に集中できない↓
小池鉄平君(彼も、泡が溜まるタイプだ…今度、観察してみて)でも
ちょっと引く…のに、S先生は、例えるなら、
アンガールズの田中の目を細くしたような感じ。
で…「泡」…ダメでしょ↓

家庭科に「お付け」と呼ばれる先生がいたよね?
お上品な物腰で、すべての単語に「お」を付けるから。
モグラみたいなテニス部顧問、体育科のI先生。
慇懃無礼な感じの担任Y(呼び捨て!)。
生物のH…ご飯の上に秋刀魚一匹(丸焼き)、そのままの形で
のっていた、だけのお弁当…で話題になったね。

先生、いろいろ♪ 生徒もいろいろ♪ 田舎だっていろいろ♪
…でも、やっぱ、平和だったかも?!

2013年11月9日土曜日

先生たち【数学担当】

「鋤です事件」の〇先生の話題は尽きない。
バレンタインデー当日、国語の授業中そっと教卓にプレゼントを置いた。
(教卓の真ん前の席だった私が実行犯)
当然気が付くはずなのに、あえて無視する〇先生。
そして随分と時間が経ってから「あっ…」なんてわざとらしく気が付く様が
女子高生たちを大いに盛り上がらせた。
そして喜んで持って帰ったプレゼントの中身は、ヘアブラシだった。
とかす毛が無いのに…。
定期テスト返却では、加点交渉に列を成し、みんなが2点・3点を上乗せした。
絶対ひかない生徒と気の弱い先生の駆け引きが見えた。

一方で人気の先生がいたことも忘れられない。
英語の蛇〇先生は、ダンディな口調でみんなの人気だった。
薔薇の柄のネクタイは、今思えば冴えないんだけれど
その当時はとても似合っていると思っていたし。
不思議なことに蛇〇先生、私たちの学年では大人気だったのに
一学年下では不人気で、授業もなんだかやり難そうだったな~。

私が数学を好きになったのは、キューピーちゃんにそっくりな先生のおかげ。
薄い髪の毛にちょっとホッペが赤くて、小さな声で後ろの席まで声が届かない(>_<)
口調は優しいんだけれど、時にグサッと胸に来ることを言ったりする。
なぜか私はこの先生が大好きで、ノートに似顔絵まで書いていた。
あの頃既にかなりの高齢だったけど、今でもお元気だったら会いたいな。
今こうしてこの仕事に携わっているのは、キューピーちゃんのおかげだもん。


2013年11月6日水曜日

平和…【国語担当】

私たちが、そのような愛称で呼び合っていた1970年代。
教育の現場は、非行・校内暴力の激化に陥っていた。
「詰め込み」し過ぎて「落ちこぼれ」という言葉も生まれた。
特に中学校は荒れた。
(この反省から、「ゆとり教育」へと向かうのである。)
ド田舎にも、「荒れる」兆しはあった。
が、まだまだ「平和」でもあった。

我らが、女子校にO先生という、おそらく20代後半の男性。
中肉中背。猫背で、ぶ厚い眼鏡をかけ、暗い感じ。
そして、何よりも残念だったのは、若さに反した
ハゲ具合だった。91くらいに薄い毛を分けていたが、
授業中、熱が入ると、少ない9の固まりが垂れ下がってきて、
悲壮感漂う、落ち武者幽霊…風になった。
その風貌から、女子高生の好奇の対象となった。
担当は漢文だった。授業中、「鋤(スキ)」という漢字を
「クワ」と読み、ある生徒に「先生、スキです!」と大声で
訂正され、それを、告白と勘違いしたのか、
ハゲ上がった頭までまっ赤になるという事件勃発。
(のちに「鋤です事件」と名付けられる)
以来、私たちの恰好の標的となった。
漢文の時間には、何をしてやろうかと皆で、企んだ
時間を決めて、一斉に机を動かし、「地震!」と騒ぐ。
当時、「スカートは、ひざ下10センチ」が基本だった。
そのスカートを、ひざ上10センチまでたくしあげておく…等々。
 
「セクハラ」も「モラハラ」も「パワハラ」もなかった時代。
2010年であれば、「学校裏サイト」などでもたたかれ、
結果、ストレス系の心の病を抱えることにも?!
しかし、1970年代の先生は、ある意味強かった。何をされても
動じることなく、淡々と授業を行い、1年後、他校へ異動となった。

2013年11月2日土曜日

本屋大賞の大賞【数学担当】

高校時代「ゾンビ」と呼ばれていた彼女は、大学時代は「梅ちゃん」と呼ばれていた。
なんとなく納得のいくその愛称に、つくづく個人の特徴で呼ばれてしまう悲しさを感じた。
国ちゃんも私も、名前のもじりから付いた愛称でお互いを呼び合っているが、
高校生で出会った時から、自己申請的にこの呼び名がすでに決定していた。
「〇〇って呼んでね」と先に言ったもん勝ち。特に学生時代は。

さて本屋大賞。書店で働く店員さんの投票によって選ばれるもので、
今年は百田尚樹「海賊とよばれた男」が選ばれた。
昨年は三浦しおん「舟を編む」。どちらも話題になったのでご存じだと思う。
投票権を持つ店員さんはパートアルバイトも可というから、私も駅前の書店で
パートさんになって来年は投票したい!とマジで思った。
この本屋大賞、実は第10位まで選ばれているのだ。直木賞とか芥川賞同様
「本屋大賞はこの作品」とただ一つ選ばれているわけじゃないのね。
2位以下の本は、賞を取ったという意味では全く知られていないけれど、
一般的には結構話題になっている本も多い。
ドラマになった「ビブリア古書堂の事件簿」(2012年8位)、「流星の絆」(2009年9位)
映画化された「神様のカルテ」(2010年2位)、「新参者」(2010年9位)など。
因みに、あんなに話題になった「1Q84」 は2010年10位だ。
私自身2004年の第1回からさかのぼって計100冊中56冊読んでいたから
そうとは知らずに選んでいたとはいえ、いいなと思う本はみんな一緒ということかもしれない。
あえて1位を外して残りの90冊の中からMy本屋大賞を選ぶとすると…
「家守奇譚」(2005年3位)、「悼む人」(2009年8位)、
「横道世之介」(2010年3位)、「百年法」(2013年9位)というところか。
この本屋大賞には「発掘部門」というものもあり、こちらは過去年に出版された本全般から
時代を超えて残る本や今読み返しても面白いという本が選ばれている。
あくまでも推薦という形で順位はつけられていないので、その中からどう選ぶかというのは
難しいところだけれども、タイトルを見ているだけでもわくわくしてくる。
読みたい本が沢山出てきて、あらあらどうしましょう。