2011年12月31日土曜日

今年もお世話になりました【数学担当】

2011年も今日が最終日。
今年一年、ブログにお付き合いいただきましてありがとうございました。
来年もまた、国語担当・数学担当それぞれ得意分野を生かし
皆様のお役にたてるお話をしていきたいと思います。
時には私たちの個性が見える日々の話など
コンセプトとは離れる話があるかもしれませんが
それもご愛敬、お付き合いください。

来年もみなさまにとって良い年でありますようお祈り申し上げます。
それでは、また、2012年に!

2011年12月28日水曜日

習い性となる【国語担当】

「ナラい、セイとなる」と読みます。
習慣はやがて生まれつきの性格のようになるという意味です。
同義語は「染み付く」「刷り込まれる」「インプット」等。
福沢諭吉が『学問のすすめ』でこの慣用句を
引用しているのは余りにも有名です。
『常に人を恐れ人に諂う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、
鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、
人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる、
「習い、性となる」とはこのことにて、慣れたることは
容易に改め難きものなり。』とあります。
福沢諭吉の主張の是非については、さておき…
自分においては、どうであろうかと考えました。
何度も書いていますが、私は商家(小さな!)の生まれです。
田舎ですから、家庭(住宅)=店舗だったわけです。
食事は家族一緒で、会話がはずみ、食後はテレビを
見ながらの団らん…などというものとは無縁でした。
居間は店舗につながっていましたので、「お客様に見られる」
という意識が常に働き、団らんの習慣はありませんでした。
もちろん、食事も急いでとり、交代でレジに立つ。
居間でテレビを見るのは閉店後のみ。もちろん、ごろ寝も
なし!それは、確かに私の性質の一部を形成しているなと
感じます。今でも、私は(店番もないのに)食事も早いし、
(お客もいないのに)テレビを見ながら、ごろごろしません。
見る…か、寝る…かです。子どもがリビングでごろごろしていると
イラっときます。そして、主人の実家に行くと、
この「習い性」が災いします。
主人の実家はサラリーマンの家庭ですので、皆でのんびり食事をし、
やたらとくつろぎます。何か手伝おうとすると義母に制止
されます。「いいのよ。実家に来たときくらいのんびりして。」と。
これが、なんとも手持ち無沙汰で、居心地の悪い時間です。
この瞬間に、私はいつもこの慣用句を思い出すというわけです。

2011年12月24日土曜日

えっ?あの人が!?【数学担当】

ちっとも勉強ができるとは思えなかったのに
いつの間にか合格してる…
そんな人っていますよね。
私の方が成績が上だったのに、なんであの人だけ(涙)。
なんてこともあります。

生徒さんは模擬テストが終わると、成績表を見せてくれますが
大抵、がっかりした表情です。
志望校判定の評価が低いからです。

この2つは数字のマジックによって正しい判断が損なわれています。
<問題は、自分の志望する学校の対策にあったのもだったのか>
一般的に、模試は広い範囲から問題が出題されています。
今の段階ではすでに、過去問対策に入っていますから
志望する学校の傾向と対策にあった問題しか解いていません。
そんな中まったく範囲外の問題を解いたところで結果が出るはずがない。
見るべきところは、対策にあった問題で失点がないかどうか、ということです。
ここでちゃんと点数が取れていれば大丈夫。
今やっていることは間違いないです。

勉強ができないと思われていたあの子も
実は志望校に寄り添った勉強を繰り返していたのでしょう。
最初に解いたときにヒドイ点数だったのに
だんだん合格点に近い点数が取れるようになってくる。
それがあなたの合格判定基準です。
「えっ、あの人が…」といわれるように。
いえいえ、「もちろんあの人ならね!」
と言われるように力をつくしていこうね。

2011年12月21日水曜日

「冬至」【国語担当】

一年中で最も昼の長さが短く、
夜の長さが長くなる日を「冬至」と言います。
(ちなみにその逆…昼が最も長いのは「夏至」です)
昔は、「冬至」は「死に一番近い日」と言われ、
その厄を払うために、体を鍛え(温め)、
無病息災を祈っていました。
この慣習の流れが、「ゆず湯」に入り、
「かぼちゃ」を食べるというものです。
「ゆず」にはいろいろな意味があるようで…
①その香りに邪を払う霊力がある
②「ゆず湯」は血行促進効果が高く、
 ひび・あかぎれを治し、風邪の予防にもなる
③「融通(ゆうずう)が利きますように」
 という願いが込められている
もちろん「冬至」と「湯治」
(湯につかって病を治す)をかけています!
「かぼちゃ」は、カロチンを多く含み、
風邪の予防に効果があります。
冬の野菜といえば「かぼちゃ」しかなかった時代に
始められた風習です。
「かぼちゃ」は漢字で書くと「南瓜(なんきん)」。
冬至には「ん」のつくものを食べると
「運」が呼び込めると言われていることも理由のひとつです。
(ちなみに土用の丑の日は「う」のつくものを食べ、
夏を乗り切る…)
かぼちゃの色が黄色で、
「金運」を祈るという意味合いもありました。
また、かぼちゃと小豆を煮たものを「冬至かぼちゃ」と呼び、
食する地方も多いようです。
小豆の赤色が呪術的に「祭り」を意味し、祭祀の場において
用いられてきたからのようです。
私は、商家の生まれですので、
こういう風習は祖父母が欠かさず行っていました。
冬至には、大きな鍋にかぼちゃと小豆が炊いてあり、
風呂にはゆず
(これは店の売れ残り。
やたらとたくさん浮いている年があったりして、
それはそれで複雑な心境でしたが…)。
その由来や意味合いは、なんとなく聞かされていましたが、
とにかく祖母の煮る「冬至かぼちゃ」が大好きでした
…当時(冬至とかけています!)の私は。

2011年12月17日土曜日

お弁当物語【数学担当】

先週、長男の高校生活最後のお弁当作りが終了しました。
中学から6年間ほぼ毎日作ってきたことを考えると
我ながらよくやったな、と思います。
朝練のある日は、朝4時半に起きて作っていたし
「冷凍食品はいれないで」と言われ困惑したり
炊飯器のタイマーを入れ忘れ、釜の蓋をあけて目が点になったり。

親子喧嘩をして息子にムカムカしながら作った日もありました。
中学生の頃は、反抗期で
何かにつけくってかかっていた日々。
あまりにも腹が立ち、何度お弁当を作るのをやめようと思ったことか。
それでもある日、キッチンに手紙が置いてあって
……
昨日も文句を言ってごめんなさい。
本当は自分が悪いのは分かっているけど
お母さんにあたっちゃうんだ。
それなのに毎日お弁当を作ってくれているから、
今日はお弁当を食べながら涙がでた。
自分は何してるんだろうと思った。
お母さんごめん。ありがとう。
……
なんていうときもありました。
お弁当持ちの最終日、特に何も言わずに持たせたのだけれど
帰ってきたら「今日弁当最後の日だったね」と息子。
別にありがとうでも、何でもなかったけれど、本人も意識していたのだな
というのが、ちょっとうれしかったです。

やっとこれで解放!と思ったけど
まだあと3年、次男のお弁当作りがあった。
あ~あ。

2011年12月14日水曜日

「絆」【国語担当】

毎年、1212日「漢字の日」に、その年をイメージする漢字を
公募し、最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を
反映する漢字として、京都の清水寺で発表する恒例行事が
あります。今年の漢字は「絆」でした。
なるほど…という感じ(漢字とかけています!)でしょうか?!
東日本大震災・台風による豪雨・タイ洪水などの自然災害により
家族や友との絆を改めて感じたり、なでしこJAPANの優勝に
感動と勇気与えられ、多くの日本人が絆の大切さを実感した
一年であった為…というのが、選出理由です。
「震」を思い浮かべた人も多かったのでは?
しかし「震」は、1995年「阪神淡路大震災」の年に、
選ばれています。その年は、あの有名な地下鉄サリン事件も
起きています。日本中を震撼させた…というわけですね。
さて、あなたの今年の漢字は何ですか?
私は…「忍」でしょうか…いろいろと耐え忍ぶことが
多かったので(汗)。来年は「希」といきたいところですが、
年回りが悪く、六星占術的に言う「大殺界」に突入。
ですから、静かに時が過ぎるのをじっと待つ…「滞」とか
留」とか「石」とか「静」とか…そんな感じ(漢字!)。

2011年12月7日水曜日

課題作文について その③【国語担当】

近年の公立高校/入試問題の傾向として、200字程度の課題作文を
課す学校が多いようです。条件が付けられていて、
前段で要旨をまとめさせ、後段でそれに関する個人的な意見と
その根拠を書かせるというようなパターンです。
200字というのは、実は微妙な長さで、
要旨を3割・意見と根拠に7割…簡潔に上手に
まとめあげなければならない長さなのです。
こういう問題が出ると、まずは要旨をまとめるのに
時間がかかります。その上、要旨が理解できないと
意見や根拠が書けず、何度も本文を読み、理解しようとして
時間がなくなる…という最悪の状況に陥りがちです。
正答例には、それはそれは素晴らしい参照文が載っていて
それはそれで、かなり落ち込みます。
ポイントは、まず、前段では要旨を「~とは」という書き出しで
簡潔にまとめること(ここは、文章の文言を利用すべし!)。
後段は、ここから後段に入ったとわかるように、
「この意見に対し、私は~」というように、内容変わりました!と
ひと目でわかるような書き出しにすべし。「賛成」か「反対」と
書きたいのでしょうが、どちらかに決める必要はないのです。
あきらかに「賛否」の意見/根拠を持っているのなら、それも良し。
そうでなければ、「わからない」でも良い。ただし、わからないと
述べる根拠をきちんと書くことです。
ところで、毎週「投稿文」を連載しているわけですが、最近は
何を題材にすればいいのか、悩むことが多く…皆さんに
何か質問でも頂戴できれば…と思っています。内容は
かなりソフトなものでもOKです。
《投稿者のつぶやき》最近「やりすぎ」だと思う人…
レディーガガと家政婦のミタさん!

2011年12月3日土曜日

どっちにしようかな【数学担当】

大学生の就職活動解禁ニュースがTVや新聞をにぎわせています。
数十年前の自分の就活を振り返ってみると、
ずいぶんといいかげんだったな、と思います。
当時は男女雇用機会均等法が施行されて間もない頃でしたので
女性が活躍できる場をと考え、外資系企業を希望していました。
ある日、就職担当の先生から「〇〇会社、求人来てるけどいく?」と電話をもらい
二つ返事でその会社に就職を決めました。
外資系でもないし、そこで働く自分をイメージできなかったけど
「まあ、聞いたことある会社だし、親孝行になるかな」
などという安易な判断でした。
就職先ではそこそこ仕事も楽しかったし、
いろいろ勉強させてもらったことを感謝しています。
同期入社で入った仲間の一人と結婚し、今となっては
あのときの選択は間違いじゃなかったな、と思っています。

大学生の時に教員免許を取っているので
高校の教員になるという道もありましたが、
子供なんてキライ、と思っていたからその選択肢はありませんでした。
でも10年ほど前に、あるきっかけで学校の補助教員の仕事をすることになり
そこで出会った子供たちに、教えることの楽しさを教えられ
今ではこうして私塾をすることになりました。
私の中ではとても自分らしい、自分に合っている仕事だと思っています。

受験生の皆さんは、志望校を選ぶという岐路に立たされているでしょう。
学校見学に行ったりして、自分に合っているところを探しているでしょう。
自分が選んだ結果が正しかったのか不安に思うこともあるでしょう。
けれども、それが正しかったかどうかなんて
私のようにずっとあとになってから分ることもあります。
選んだ道の中でどう生きていくか、そちらの方が大事なことです。
自分で決めた判断をいつまでも不安に思わず、とにかく前に進んでいこう!
どんな選択でもきっとよかったと思える自分がそこにはいるはずだよ!