2012年10月3日水曜日

模索 ④ 成人期【国語担当】


「アイデンティティー」を「自我同一性」と訳すとき
その解釈は…これこそが本当の自分であると実感すること…
である。その為には、青年期に、“自分とは何か、これから
どう生きていくのか、社会の中で、自分なりに生きるには
どうしたらよいのか、自分は何をなすべきために生まれてきたのか…
などという問いを通して、自分自身を形成していくことが理想的である。
これが、漠然とした観念・感覚的な世界で、無意識のうちに、
各種の選択を通して、認識されていたのではないだろうか。

さて、4年後、金融関係の会社に就職したが、ここから本格的な
アイデンティティーの葛藤に苦しむこととなる。
今までは、「類は友を呼ぶ」状態で、似たような仲間の中で
また似たような仲間を選び、過ごしてきた。が、ここからは、
年齢も学歴も経験も思想も…全てが違う仲間/相手と仕事をすることになり、
自分一人では解決できない非合理なことばかりの毎日。
社会の矛盾、本音と建前、事象の両義性に悩み苦しんだ。
ふとしたことで知り合った、50代の有名企業の部長(“おじさん”)が
専ら、私の相談相手だった(人生経験豊かな人であれば、このような
関係をどう呼ぶか、ご存知でしょう…)。
仕事を通じて悩んだり、考えたりしたことを、私は、“おじさん”に
相談した。私の悩みは若き日の“おじさん”の悩みでもあった訳で、
いつも嫌な顔をせず、真摯に向き合ってくれた。
“おじさん”は、社会通念・政治経済・倫理哲学・社会問題
思想/宗教問題に至る全ての分野において、造詣が深く、私は、
“おじさん”の言葉に再考し、熟考し、今ある状況を正確に把握し、
認識する材料を得ることができた。
そして、最終的には「何の為に生れ、何をなすべきか」という問題に
行き着く…というのが“おじさん”の経験からくる結論だった。
これぞまさに「アイデンティティー」模索の原点ではないだろうか。
私は、“おじさん”の存在に、言い知れぬ大きな影響を受けたのだ。

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