夢破れし大学受験↷
不勉強さを深く反省し、リベンジを考えるも
もともと意志の強くない私にとって
のど元過ぎれば…のことわざ通り
すっかりその環境になじんでしまったわけで…
国ちゃんに負けないくらい、私も怠惰な生活を送っていた。
80年代の女子大生のご多分に漏れず、テニスとスキー三昧。
毎日着ていく洋服に悩み
「今日のカッコはイマイチだから自主休講!」
なんてことも多々あった。
そんなわけだから、4年で卒業するところを5年かかった↷
(パパ、ママごめんなさい <(_ _)> )
実はこのダブった1年間が、今の私に大きく影響を与えてた。
まず、性格的なもの。
それまではいつも友達とつるんでいたけれど
ちゃんと進級した友達とは授業も違ってしまったから
一人で行動することが多くなった。
なんでも自分で決めて、一人でどこへでも出かけていく。
そんな性質が培われたのはこの時期だと思う。
もう一つは英語。
進級に必要な単位は2単位。
つまり半年間だけ、たった1つの授業をとれば4年生になれる。
ということは、毎日ヒマヒマ。
ここで気になりだしたのは、高校時代挫折した英語。
英語の授業でもとってみるか~、と単位にはならない
英会話などもろもろの授業を取ってみた。
帰るのが早いから、自宅の近所で英会話教室にも通った。
大学のECCサークルに入ろうかと本気で迷ったけれど
やめてしまったことを今でも後悔してる。
英語についてはこの後15年くらいしてから
役に立つことになったのだけれど、この時は
そんなこと思いもよらなかったよ。
いろんなことが、不思議と流れるべき方に流れていくと
思い返せる大学時代だった…続く。
2012年9月29日土曜日
2012年9月26日水曜日
模索 青年編まとめ【国語担当】
浪人時代の話を数ちゃんの長男君に…そう言えば、
かなり大袈裟に…した。ごめんね。単身ブラジル(比喩)な訳だから、戻れないし、
追いつめられている状態で…合格発表で自分の番号を
探す→探す→見当たらない→探す→探す→見当たらない
…なんて夢ばかり見るし。おちおち寝てもいられず、
布団に寝るのは夕方仮眠をとるだけの時間で、あとは
眠くなると机に突っ伏して寝た。
でも、今思い返すと、一番「充実」していた1年間だった!
そして、一番「後悔」の多い大学生活。ただ、なんとなく
大学に通い、講義を受け、いくつかのサークルを巡り、
バイトに明け暮れ、実りのない恋愛をし(男を見る目がなかった
ということ…涙)、4年間はアッと言う間に過ぎた。
「アイデンティティー」について。自己同一性…と訳され、
本来の自分らしく生きること…と曲解され、流行語化した言葉である。似たような展開をした言葉に「コンプレックス」がある。
これも劣等感…と曲解されているが、本来は「心の複合体」
というような意味合いだ。「アイデンティティー」とは…自分は
何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念のこと。
そう…はっきりと定義付けできない観念的な言葉なのだ。
「アイデンティティーの模索」などというと、ものすごい哲学的な
考察をしているかのように聞こえるが、本来、それは漠然としたもの
であり、「アイデンティティー」の確立なんて、成し得ぬまま、
人は、死んでいくのではないだろうか…と思っている。
青年期、自分の成すべきことがわからないまま、そして、深く
考えることもせず、なんとなく日々を過ごしてきたことは、最も後悔することであった。が同時に、「自分とは何か?」などと問うには
時間軸も空間軸も未熟であり、また、未熟ゆえに、宗教や思想に
偏る嫌いがあっただろう。
さて、就職するにあたり、私も、ようやく本編の第一歩を
歩み始めることになる。ということで…続く、ったら続くのだ。2012年9月22日土曜日
高校生になったら【数学担当】
国ちゃんの浪人時代の話は、大人になってから詳しく聞いたけれど
それはそれは、かなりの猛勉強ぶりだった。
昨年長男が大学受験の時に、国ちゃんの話を半ば脅しのように伝えたら
長男は「絶対浪人はしたくない」と言い切ったくらい。
この辺のくだりについては、折を見て国ちゃんから話してもらうとして…
国ちゃんと同じA女子高へ入学した私はというと…。
あちこちの中学の優秀な生徒たちが集まってきているから
もうみんなの賢さは言うまでもない。
すっかり自信をなくしちゃった。
特に英語。ちょっとばかり英語に自信があった私だけれど
幼稚園から続くミッションスクールから来た
彼女たちの英語の発音のきれいさに、もう驚き。
それに加えて、英語の先生がものすごいスピードで授業をして
ものすごいスピードで、次々あてていく。
完璧に落ちこぼれた。 ((+_+))
どんどん成績は下がっていって、結局志望校にはどこも不合格。
滑り止めで受けた大学に入学。
今思えば、ろくな受験対策もしていなかった。
過去問対策なんてしたかな~。
そりゃ、どこからも合格がでないよな、と今なら冷静な判断ができるけど
高校生の時は、なんかどこかへ合格しちゃう気がしてたんだよね。
そして大学生活。
やっぱりそれなり…っていうのが最初の印象。
仮面浪人しようかな、な~んてことも考えた。
だけど人間って、流されちゃうものなのよね~ (--〆)
それはそれは、かなりの猛勉強ぶりだった。
昨年長男が大学受験の時に、国ちゃんの話を半ば脅しのように伝えたら
長男は「絶対浪人はしたくない」と言い切ったくらい。
この辺のくだりについては、折を見て国ちゃんから話してもらうとして…
国ちゃんと同じA女子高へ入学した私はというと…。
あちこちの中学の優秀な生徒たちが集まってきているから
もうみんなの賢さは言うまでもない。
すっかり自信をなくしちゃった。
特に英語。ちょっとばかり英語に自信があった私だけれど
幼稚園から続くミッションスクールから来た
彼女たちの英語の発音のきれいさに、もう驚き。
それに加えて、英語の先生がものすごいスピードで授業をして
ものすごいスピードで、次々あてていく。
完璧に落ちこぼれた。 ((+_+))
どんどん成績は下がっていって、結局志望校にはどこも不合格。
滑り止めで受けた大学に入学。
今思えば、ろくな受験対策もしていなかった。
過去問対策なんてしたかな~。
そりゃ、どこからも合格がでないよな、と今なら冷静な判断ができるけど
高校生の時は、なんかどこかへ合格しちゃう気がしてたんだよね。
そして大学生活。
やっぱりそれなり…っていうのが最初の印象。
仮面浪人しようかな、な~んてことも考えた。
だけど人間って、流されちゃうものなのよね~ (--〆)
2012年9月19日水曜日
模索② 青春編【国語担当】
数ちゃんの幼少時代は意外だったなぁ~。
野山を駆け回るイメージなかったから。さて、前回の続き…地元では名高い歴史ある進学校…A女子高校。
私の父は、兄弟姉妹8人全員、女子はA女子、男子はA高校出身。
むろん、いとこ達も!親族が集まる場ではそれぞれの校歌を合唱する
習わし(汗…)があり、A女子校に入学することは、私の最初の
ミッションでもあったのだ。そのミッションをなんとかクリアして
入学したA女子校は、「パプリカ」をはじめとして、「れんこん」やら
「マッシュルーム」やら「パセリ」やら、田舎では見たことのないような
面子揃い。そこで数ちゃんにも出会った。数ちゃんは野菜に例えると
「冬瓜」(形じゃないよ!中味…白くて、やわらかくて美味!大好き!)
部活には入部したものの、高1の夏に母親代わりの祖母が
倒れて入院してからは、看病や家事手伝いもあり、退部。
勉強にも身が入らず、これといった将来の目標も見出せないまま、
大学受験に挑み、失敗↓。すっかり途方に暮れて自宅に引きこもっていた。
そこに小6の時、あの家庭学習グラフを考案した担任のY先生が
ひょっこり訪ねてきた。どうしたものか思案している、と
相談すると、「人生は長い。1年くらい自分の力を試す為に多少
遠回りしても、いいんじゃないか。あの頃みたいに夢中で
勉強してみたらどうだ…」と。その言葉に突き動かされるように、
私は父に泣きながら「東京で、一人で、浪人したい」と告げた。
当時、女子が、東京で下宿し予備校に通う(浪人する)などということは、
今でいえば、サッカー教室に通っている娘が単身ブラジルに武者修行に
行くようなもので(ニュアンスわかる?)大変なことだったのだ。
数日後、しぶしぶ了承した父とともに、軽トラックに勉強机だけ乗せて、
上京した。半身不随の祖母が、店の前でいつまでも手を振る姿が、
軽トラックのサイドミラーに映り、涙が溢れて止まらなかった。
忘れもしない1982年3月のことだ。
そして、1年後、無事入学した大学の面々は、「ゴーヤ」や「空心菜」
「ズッキーニ」など、今まで見たことも聞いたこともないような
野菜だらけだった…。
2012年9月15日土曜日
中学時代のきっかけ【数学担当】
国ちゃんと知り合ったのは高校時代なので
そのころの彼女は全く「ごぼう!?」ではなかったから
小学生の頃の話は意外な感じ。
では私も、国ちゃんの知らない時代の話をしようかな。
うちの実家はとてつもないド田舎なので、小学校の頃は
毎日裏山に行って猿のように駆け回っていた私。
クリとか木の実とかを採って食べたりもしていた。
山の奥に入ってしまい道がわからなくなったら
沢をつたって民家のあるところまで
下りてくる術を知ったのもこのころ。
中学生になってからは、自転車通学。
白いヘルメットをかぶらされて、ダサイのなんの (-_-;)
あるときは、坂を下りるとき、コントロール不能になり
脇の田んぼへ突っ込んだ。
そんなおサルが、何を勘違いしたのか
「私って勉強できるじゃん!」と思い始め
授業中騒いでいる人がいれば
「静かにしてください!!」な~んて言っちゃう
嫌味なクラス委員長タイプに変身していた。
今思い出しても恥ずかしい↷
恥ずかしすぎて、中学の同窓会なんて行けないもの。
何がきっかけでこうなったか…と考えてみると
先生に褒めてもらったとか、定期テストの結果が
順位というわかりやすい指標で表されたこととか。
もうプライドくすぐられ過ぎ、私にピタッと合った。
まあ、こんな感じでやる気を出させるということは
ある意味、今の仕事に生かせることが出来ているので
今となってみれば悪くなかったけどね。
(生徒さんのプライドくすぐりまくってます (^_^)v )
でも、高校に入ってからはまたまた
カルチャーショックを受けたわけで…
いやいや、この話はまた。
長くなりそうだもの。
そのころの彼女は全く「ごぼう!?」ではなかったから
小学生の頃の話は意外な感じ。
では私も、国ちゃんの知らない時代の話をしようかな。
うちの実家はとてつもないド田舎なので、小学校の頃は
毎日裏山に行って猿のように駆け回っていた私。
クリとか木の実とかを採って食べたりもしていた。
山の奥に入ってしまい道がわからなくなったら
沢をつたって民家のあるところまで
下りてくる術を知ったのもこのころ。
中学生になってからは、自転車通学。
白いヘルメットをかぶらされて、ダサイのなんの (-_-;)
あるときは、坂を下りるとき、コントロール不能になり
脇の田んぼへ突っ込んだ。
そんなおサルが、何を勘違いしたのか
「私って勉強できるじゃん!」と思い始め
授業中騒いでいる人がいれば
「静かにしてください!!」な~んて言っちゃう
嫌味なクラス委員長タイプに変身していた。
今思い出しても恥ずかしい↷
恥ずかしすぎて、中学の同窓会なんて行けないもの。
何がきっかけでこうなったか…と考えてみると
先生に褒めてもらったとか、定期テストの結果が
順位というわかりやすい指標で表されたこととか。
もうプライドくすぐられ過ぎ、私にピタッと合った。
まあ、こんな感じでやる気を出させるということは
ある意味、今の仕事に生かせることが出来ているので
今となってみれば悪くなかったけどね。
(生徒さんのプライドくすぐりまくってます (^_^)v )
でも、高校に入ってからはまたまた
カルチャーショックを受けたわけで…
いやいや、この話はまた。
長くなりそうだもの。
2012年9月12日水曜日
アイデンティティーの模索①【国語担当】
「自分」の幼い頃の記憶…それは、かなり断片的だが、
いつも人の後ろの方にいた。引っ込み思案。
色黒でやせっぽちで、かわくない。野菜に例えると「ごぼう」。活発ではあったが、ひっそり…「活発」。
何かに登ったりぶら下がったりしているのが好きで
みかねた(?)祖父が鉄棒を買ってくれた。いつも家の
裏にある鉄棒にぶら下がり、(一人で)ぐるぐる回っていた。
隣に住む洋装店のA子ちゃんは、「魔法使いサリー」ちゃん
みたいなショートカットの可愛い女の子。みんなの
人気者で、絵も上手、成績優秀(オール5)・運動神経抜群。
いつも洒落た手作りのワンピースを着ていた。
野菜に例えれば…そう「トマト」!
小学校4年生の時、突然A子ちゃんが転校。
それが私の転機だった…A子ちゃんみたいになりたい!
勉強も運動も頑張る。係の仕事も進んでする。
目立ちたがり屋になった。長と名のつくものには、立候補し、
スポーツの大会があれば、代表に選ばれるよう努力した。
家庭学習競争(当時、先生が競争意識を煽るため、棒グラフで
表していた…今でいう営業成績表みたいなもの?!)も全教科
トップを目指した。突然『出る杭』となったのだ。
「ごぼう」が「きゅうり」くらいにまでなっちゃったようなもの!
で…高校でA子ちゃんに再会。「トマト」は「パプリカ」みたいに
なっていた。校則で禁止されていたパーマをかけ、スカートは
長め(当時は丈が長いほど…ワル)。学生カバンはぺちゃんこ
(ぺちゃんこであるほど…ワル!)。遅刻・エスケープはしょっちゅうで、
その自由奔放ぶりに衝撃を受けた。A子ちゃんは「高校入るまでに
やりつくしたから、もういいの!好きなように、自由に
生きるって決めたの!」って長いスカートをひるがえし、
「これからデートなんだ!バイバイ!」…。
私は何者なんだろう?!…と思った瞬間。
2012年9月8日土曜日
小学生の頃【数学担当】
国ちゃんの昭和な夏休みを読んで、懐かしかった。
そうそう「夏休みの友」あったね~。
どこの学校でも同じテキストだから
学校によっては習っていない単元が入っていたりして
まったくちんぷんかんぷんのページは
夏休みの最終日になっても空欄はうめられなかった。
祖父に描いてもらった風景画は妙に上手すぎて
教室の後ろに一斉に貼られたときには
子供ながら、さすがにズルがばれたと思った。
自由研究はいつも母が手伝ってくれていたのに
ある時からほったらかしにされ
逆切れしてちょっと恨んだりもした。 (--〆)
中学や高校の頃も夏休みの宿題はあったはずだけれど
このあたりはまったく記憶にない。
だから私の小学校時代以降の記憶としては
次男の小学校の自由研究を手伝ったこととか
中学の理科の自由研究を家族総出でやったら
すっごいのができちゃって、それを見た高校の先生から
「ぜひ高校の自由参加の実験教室で一緒にやらないか」といわれた
と息子を半泣きにさせてしまったこととか
(あ~、おじいちゃんと同じことしてるわ…)
大人の理屈や理論での記憶しか残っていなかった。
小学校の頃の私は、ズルしたりダラダラしたり
いい加減なところばかりだったのに
大人になったら偉そうなこといってるな~。
宿題をさぼっちゃった生徒さんとかの気持ちも
(そうは言わないけれど)わかってたはず、と
ちょっぴり反省でした。
そうそう「夏休みの友」あったね~。
どこの学校でも同じテキストだから
学校によっては習っていない単元が入っていたりして
まったくちんぷんかんぷんのページは
夏休みの最終日になっても空欄はうめられなかった。
祖父に描いてもらった風景画は妙に上手すぎて
教室の後ろに一斉に貼られたときには
子供ながら、さすがにズルがばれたと思った。
自由研究はいつも母が手伝ってくれていたのに
ある時からほったらかしにされ
逆切れしてちょっと恨んだりもした。 (--〆)
中学や高校の頃も夏休みの宿題はあったはずだけれど
このあたりはまったく記憶にない。
だから私の小学校時代以降の記憶としては
次男の小学校の自由研究を手伝ったこととか
中学の理科の自由研究を家族総出でやったら
すっごいのができちゃって、それを見た高校の先生から
「ぜひ高校の自由参加の実験教室で一緒にやらないか」といわれた
と息子を半泣きにさせてしまったこととか
(あ~、おじいちゃんと同じことしてるわ…)
大人の理屈や理論での記憶しか残っていなかった。
小学校の頃の私は、ズルしたりダラダラしたり
いい加減なところばかりだったのに
大人になったら偉そうなこといってるな~。
宿題をさぼっちゃった生徒さんとかの気持ちも
(そうは言わないけれど)わかってたはず、と
ちょっぴり反省でした。
2012年9月5日水曜日
昭和な夏休み【国語担当】
1970年代、数ちゃんも私も小学生…当時、
「夏休みの友」っていう課題冊子あったよね?30~50ページほどの冊子で、教科ごとの復習問題や
課題図書(読書感想文用)・自由研究のすすめ…等が
綴られていた。 夏休みは、1ヶ月。真ん中あたりに
登校日があった。夏休みは毎朝、ラジオ体操(町内会主催)。
ラジオ体操カードにハンコをもらい、肝油を1粒もらう。
帰り道、自由研究の昆虫採集や押し花用の花を探す。
蚊に刺される→自宅でキンカンをぬる→とてつもなく沁みる↓。
朝食はもっぱら、夏野菜と納豆。水分補給の基本は、麦茶。
ヤカンごと冷蔵庫に冷えていた。
涼しいうちに勉強しなさい…と言われ、午前中は
「夏休みの友」。昼食は「ひやむぎ」。今でいう素麺なの
だが、色つきの麺が何本か入っていると、妹と取り合いに
なったりした。午後は、昼寝を言い渡され、扇風機を
回し、お腹にタオルケットを掛けて、ゴロリ。
おやつは「とうもろこし」か「スイカ」が定番。来客時は、
カルピス(もちろん原液を水で割って飲む!)。
暑い…なんて言うと、「夏は暑くて当たり前」とバッサリ。
夕飯は、またまた夏野菜と冷ややっこ。夕方になると、
蚊取り線香を焚き、夜は、緑色の蚊帳を吊ってその中に
布団を敷いて寝た。プールといえば、学校のプールのみ。
母の実家が猪苗代湖のすぐ近くで、夏休みはいとこ達が
大勢泊まりに来ていて、私たち姉妹も1週間くらい滞在した。
なんたって猪苗代湖は、無料で泳ぎ放題!(私は猪苗代湖を
海だと思っていた…向こうに見えるのはアメリカ!って
…実際は、会津若松↓)。
私は実家が商売をしているので、家族旅行に行ったことが
ない。6年間で一度だけ父がいわき市にある「ハワイアンズ」
(当時は「常磐ハワイアンセンター」と言った)に連れて行って
くれた。これも、マジで「ハワイ」(アメリカ!)だと思った…。
「昭和の夏休み」は、ある意味…平和だった。
2012年9月1日土曜日
夏休み終了【数学担当】
9月に入り、長~い夏休みが終了しました。
(あっという間だったよ、っていう人もいる?)
夏期講習は、小学4年生のかわいい子から
高校3年生の大学受験目前の生徒さんまで
多くのメンバーが参加してくれました。
今年は、中学受験・高校受験・大学受験と
受験を控えた生徒さんがいたので
みんなのリクエストに応えられる様に
私も普段以上に勉強して、充実した休みを過ごしました。
授業時間と授業時間の間に少し余裕があることもあったので
そんな時間を利用して、普段できない
雑談などもできて楽しかったな~。
生徒さんの日々の生活が会話から垣間見えて
一層親近感を持ちました。
どの生徒さんも、お母さんや兄弟の話をしてくれて
(なぜかお父さんの話はでてこない)
おうちで愛情たっぷりに育てられているのね
と感じた次第です。
さて、我が家でも次男が今日から学校。
1か月半ぶりのお弁当作りは、なんだか調子がつかめず
とっても手際が悪くて、時間がかかりました。
さてさてこれで、また普段の生活に戻ったわけで
映画に行ったり、ビーズ教室に通ったりと
私の時間を楽しめそうです。
あ、大学生の息子はまだ夏休みだった↷↷
9月の下旬まで夏休みだそうで…
大学生の休みって長いのね~↷↷
(あっという間だったよ、っていう人もいる?)
夏期講習は、小学4年生のかわいい子から
高校3年生の大学受験目前の生徒さんまで
多くのメンバーが参加してくれました。
今年は、中学受験・高校受験・大学受験と
受験を控えた生徒さんがいたので
みんなのリクエストに応えられる様に
私も普段以上に勉強して、充実した休みを過ごしました。
授業時間と授業時間の間に少し余裕があることもあったので
そんな時間を利用して、普段できない
雑談などもできて楽しかったな~。
生徒さんの日々の生活が会話から垣間見えて
一層親近感を持ちました。
どの生徒さんも、お母さんや兄弟の話をしてくれて
(なぜかお父さんの話はでてこない)
おうちで愛情たっぷりに育てられているのね
と感じた次第です。
さて、我が家でも次男が今日から学校。
1か月半ぶりのお弁当作りは、なんだか調子がつかめず
とっても手際が悪くて、時間がかかりました。
さてさてこれで、また普段の生活に戻ったわけで
映画に行ったり、ビーズ教室に通ったりと
私の時間を楽しめそうです。
あ、大学生の息子はまだ夏休みだった↷↷
9月の下旬まで夏休みだそうで…
大学生の休みって長いのね~↷↷
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