今週は…また違う文化について、書いてみようと
考えていたのですが、前回「コメント」を寄せて下さった方がいらっしゃって…とても嬉しく、もう少し語りたくなりました。
私が書いた例文のような話しは、まさに「団塊の世代」あたりで
…現代は「死語」になりつつあります。
「つまらないものですが…」などと言うと「つまらないもの
なんていらないわよ!」と言われかねませんし…
本当は厳選したお気に入りの品を手土産をとして持参したのだから、
そうはっきり言って良いはずでしょ?
逆に、「吹けば飛ぶような家ですよ。」なんて言われて
本当に吹けば飛ぶような家だったら、「とんでもない!」
と返すのは、返って、しらじらしく感じられるでしょうし。
コメントの「嫁は海外生活が長くて…」というのも
実際は謙遜の意味で使っているのですが、自慢(?!)とも
受け取れる言い回しですよね。
「謙遜」として使う言葉は、実際は謙遜などしていなくて
言葉だけの決まり文句でしかないようです。あまりに露骨に使うと、謙遜=嫌み? 謙遜=さりげない自慢?
とも受け取られかねません。
ただ、処世術としては、間違いはないでしょうし、相手を傷つける
心配もないでしょう。日本人同士の社交的な潤滑油(?)のような
役割を担っているのではないでしょうか。
そして、形を変えながらも、「謙遜の文化」は脈々と受け継がれて
いるのではないかと思うのです。それは、前回、お話した
「あいまいな日本語」という形にも。根底には「へりくだる」と
いう観念が無意識に働いているのではないかと思うのです。
「拙宅」や「愚妻」という言葉を使わなくても、断定を避ける
表現「…的な」や語尾を上げる表現(例えば、「マジすごくね?」)にも
さりげなく「謙遜」の匂いがしませんか?
…そんな気がします。
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