山形県の小学校で、無料で食事を配ったのがルーツらしい。
1930年代に学校給食臨時施設法が制定され、一部ではあるが、
学校給食が実施されるようになった。
戦後1945年以降は、海外からの食料援助により、「児童の欠食対策」として、
給食が再開され、1952年に全国的に完全給食を実施。
給食の目的は「教育の一環」と位置付けられ、現在の体制が構築。
1980年代からは、食育という「給食の教育的側面」が注目されるようになった。
時代によって食生活が変容すると共に給食のメニューもまた様変わりしている。
1970年代前半にかけて、脱脂粉乳が牛乳に変わり、1976年(昭和51年)には、米飯給食が開始。近年では、行事との関連を図ったり、食を通した郷土理解や
異文化理解なども考慮され、パンをクロワッサンに、汁物をトムヤムクンになど、
メニューも多様化。
また、提供する側の事情も単独調理方法(給食室の設置)から、
共同調理場方式(給食センター方式)へ変化している。
かつての管理教育全盛時代に「偏食や野菜嫌いなどを矯正する」という観点から、
残すことを禁止する教師が圧倒的に多かったが、その風潮は減少。
食べる前に食べられる量まで減らすように指導する教員も増えている。
学校給食はメリットのほうが大きいが、集団活動の一環でもあり、問題も多く発生している。
宗教的配慮、アレルギー対策、給食費問題、廃止論、給食でのいじめ、残飯問題。
会食不全症候群(クラスの人間同士顔を合わせて食事することができない)
美味しくない(永遠のテーマ)等々。
私が小学校に入学した1970年、脱脂粉乳から完全に牛乳に!主食はパンのみ。
おかずを一品(クジラの竜田揚げがあった時代)。学期末には、「ミルメーク」という
牛乳に混ぜて、イチゴミルクやコーヒー牛乳を作る粉末の調味品が出た。
パンも揚げパンで、冷凍みかんが出たり…!(御褒美的な?!)
それから、食べ残しは厳禁だったが、お代りする生徒はいても、食べ残す子はいなかった。
学校を休むと近所の子が、給食に出たパンを届けてくれた。
銀色のアルミの食器、先割れスプーンで当時のメニューを食したら…
すご~く美味しいと感じるのか? 意外にそうでもないのか?
ただただ…懐かしいと感じるのは間違いないだろう。
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