2014年4月9日水曜日

堂々巡り【国語担当】

鶏が先か卵が先か…と言う言葉があるが、鶏が卵を産むのだから
鶏が先! いや、その鶏は、卵から生まれたのだから、卵が先!
つまり、答えが出ない、「堂々巡り」ということだ。

私には、今でも忘れられず、時折思い出し、感慨にふける言葉がある。
高校時代の数ちゃんのBF…S君の言葉だ!
「公式が先ではない。いろいろな考察から公式が生まれるのだ」
考えたこともなかった。弱冠16歳で、この言葉を吐いたS君は、「深い!」
数ちゃんは、当時「S君の話題は、勉強に関することばかり。今日は
「五段活用」について語られた…」とか言ってたね。
高校生で他人(彼女だけど)に「五段活用」について、語れるなんて、
今思うと、それも凄いことである。
「数学」についての見解は、数ちゃんにお任せするとして、
「国語」については、どうか。「内容理解(読解力)」か「テクニック」か。
もちろん「テクニック」だけで解けるほど、そんなに甘くはない。
では、内容理解…そもそも理解できるのか?という問題がつきまとう。
そして、問題は「時間」だ。限られた時間の中で、解答するというしばりが
あるゆえに「テクニック」が重要になってくる。
多くの文章を読み、解いた人には、論述には、ある種のパターンがある
ということに気付き、それが理解できてこそ、テクニックが「腑に落ちる」。
試験(問い)がなければ、内容理解(文章を楽しむ)だけで良い。
しかし、教科としての「国語」である。問うことによって、内容理解度を判別するのだ。
内容理解→パターン把握→テクニック応用→解答(納得のいく解答)→正解! 
テクニック応用→パターン把握→内容理解→解答→正解!
どちらが先でもいい。内容把握→解答(正解!)でも、テクニック→解答(正解!)
でも正解に変わりはない。しかしながら、論述パターンが複雑、
そして文章が難解、更に主張内容も難解と難解づくしになってくると、
まず、理解できないことに焦る→パターンが読みとれない→テクニックが通用しない
という負のスパイラルに陥る。大概、こういう場合、時間が解決してくれるのだが、
試験中は、如何ともし難い。
詰まるところ、結果がすべて…か。これまた堂々巡りである。

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