2013年5月15日水曜日

母の日【国語担当】

日頃の母の苦労をねぎらい、母への感謝を表す日である。
1949年に、5月の第二日曜日を正式に「母の日」と定め、
普及してきた…ようだ。
アメリカの南北戦争を背景とした家族の物語が記念日の由来。
キリスト教に根ざした行事としてスタート。
日本では、儒教思想を受け入れてきた歴史から、年長者を
敬う文化があり、普及の広まりは早かったようである。
確かに、「母の日」は私の幼少時代から、ド田舎にも存在していた。
似顔絵を描いて贈ったり、お小遣いでカーネーションを買って
贈ったりした。
カーネーションを贈る由来が、十字架に架けられるキリストを
見送った聖母マリアがこぼした涙の落ちた地面に咲いた花が
カーネーションだったから(母性愛の象徴)…という伝説は初耳。
存命する母親がいれば赤いカーネーションを、亡くなっていれば
白いカーネーションを贈る…というのも知らなかった。

我が家の場合、私の母は、「母の日」が近づくと電話を寄越し、
「何もいらないよ!」と言ってくる。義母には、毎年「新茶」を
贈ることにしているので、早々にネットで予約。
子供達の場合、ここ何年かは、なぜか主人が娘に「準備しているか?」と
事前にチェック。そして「楽しみだね」と私の機嫌をうかがう…。
娘は、長男にプレゼント(チョコ)の準備を指示。
娘と次男は手紙を書いて、当日、一緒に渡してくれるパターンだ。
娘の手紙は毎回「食事/お弁当に対する御礼」(娘の中では、食に関する
比重が非常に高いと毎年実感)。次男は、「決意表明」…自立します!とか、
勉強頑張ります!とか、なぜ母の日に?と毎年思う。
そうこうしているうちに、「父の日」がやってくるのだ…。

2013年5月10日金曜日

母の日【数学担当】

GWのため、ブログも不定期になりました。ごめんなさい。
今回からまた国ちゃんと二人、つらつらと日々思ったことを
お届けしますのでどうぞよろしく。
さて、この連休私は九州に行きました。向こうでは現地ならではの
方言が聞けるかな~と、ちょっと楽しみにしていたのですが
ほとんどの方が標準語でした。 (>_<)
でもって、女子高生は地方でもオシャレで可愛い。
地方都市と首都圏との格差が無くなってきている。
私は今でも、福島弁でしゃべれるし、福島の言葉で聞くと
しみじみと心に染み入るのだけれど、
そういう感覚を持つ人もだんだん少なくなってくるのだろうか。
北の国のアナウンサーの言葉を、北の国の心で聞けば…
という国ちゃんの話があったけれど
福島の心や九州の心で感じる言葉は、いつまでも残ってほしい。
息子たちは感情が育つ時期に、英語圏で育ったので
しばらくは、自分の気持ちにぴったりくる言葉は英語でしか表現できない
と言っていた。
そして、日本語では決して口にできないようなコッパズカシイ文章
…I love you とか…
も、英語なら抵抗なく書けてしまうのが不思議だ。
小さいときは、頼みにくいお願い事なんかを
英語でモニョモニョと私に話していたこともあった。
お誕生日や母の日のメッセージカードも、大きくなるにつれ
英語で書かれることが多くなった。
だんだん大きくなると、そういうことも恥ずかしくなるんだろうな~。
英語でならなんとか書けるのかも(すでに私の語学力は忘却の彼方。読めず…)。
今度の日曜日は母の日。最近めっきりお手紙もくれなくなった息子たちだけれど
なんかちょっと期待してしまう。
TV局よ、どんどん母の日の話題を流して息子たちに思い出させて!

2013年5月3日金曜日

英語は英語で【国語担当】

私たちは、英語(会話・文章)に出会った時、日本語に
訳して理解し、日本語で返答を考え、また英語に直し、
回答するのが一般的である。頭の中を支配していのは
日本語だ。
日本で英語を学び始めた人であれば、日本語を使って
英語を理解するように勉強し始めたのだから、日本語を
介さずに英語を使うということは、不可能に近いと思う。
詰まる所、日本の英語教育にも問題があると思うが、これは
教育論の複雑な話になるので割愛。
英語を、日本語を介さず、英語のまま理解することが
真の意味で、理想的あると私は思う。

以前、帰国子女のお嬢さんに古文を教えたことがあった。
内容把握の為に、古文を英訳して提示したが、英訳すると
ニュアンスが微妙に違ってしまうことに気づき、古文は
古文として学ぶ重要性を実感。
もしかしたら、英語だけではなく、今、話題の北の国もしかり?!
和訳したテロップを読むと、捉え方によっては、かなり
上から、無茶苦茶なことを言っているように感じる。
(あの女性のアナウンサーの話し方も威圧的だし…)
しかし、北の国の心で聞けば、感じ方/受け止め方が全く
違ってくるかもしれない。
話は戻るが、今年のセンター試験の論説…小林秀雄…問題としては
過去最低の評価。「センター試験テロ」とまで言われる始末。
小林秀雄の文章は、小林秀雄の心で読むことが大切であり、しかし、
それは難解極まりなく、ゆえにセンター試験の問題にしては
いけないと思った。東大の二次試験…なら…可!