2012年10月31日水曜日

模索⑧…因果関係【国語担当】


ギフト…良い言葉だね。私の「ギフト」って何だったのだろう?
まさか!?…「女性の修業」ヒェ~↓
 
私は、人は皆、「何らかの使命を帯びて生れて来る」と思っている。
「オーラの泉」(以前放送していたTV番組)の見過ぎかも
しれないが…。自分で親や場所、そして精神や肉体までも選択して
生れて来ていると思っている。
そういう点から考察していくと、今世はPのように、「愛」に
埋もれて生きるために、生を受けたのではない、というのは
はっきりしている。ただ、私は、酒屋(老舗でもない普通の
小売店だが…)の長子として生まれたのに、なぜ酒屋を継がず、
外に出ているのか? 私には妹しかいないので、本来であれば
商業高校を出て、家業を手伝い、しかるべき婿養子をもらい、
家業を継承し、子供を産み、更なる継承と繁栄を計る、という
役割ではなかったのか?
なのに、普通高校に進学し、浪人してまで大学を出て(しかも
教育学部)、東京で就職し、結婚し、出産した。結果、妹が
実家を継いでいる。妹は独身で子供もいない。このままでは
繁栄どころか、滅亡だ。
私は、今でも「長子であるのに家を継がなかった」ことを
(私の代わりに役目を果たしている妹に!)責められている。
そして、私は、長子としての責務を果たせずいることに苦悩している。
言い訳ではないが、川の流れに沿って生きて来ただけなのだ。
その流れは、私が選択したのか?いや、すでに道筋はできていて、
流されてきただけなのか?それ以前に、選択の余地はあったのか?
その疑問は、まるで負のスパイラルのように、私に襲いかかってくる。

しかし、本当の答えはまだ見えていない。糸口さえつかめていない。
きっと、死に逝く床で「これが私の使命か…」と消えゆく意識の中、
アイデンティティーの確立に至るのではないだろうか…と思っている。

2012年10月27日土曜日

めざめる【数学担当】

今こうして教える仕事を続けているのは
息子の小学校にいた算数の先生のおかげだと思っている。

引っ越した地域の学校では、保護者のボランティア活動が盛んで
ひょんなことから私も息子の学校のお手伝いに行くことになった。
算数の先生の授業について行って、クラスで質問がある子や
わからなくなっている子のサポートをする仕事。
英語は相変わらず、たどたどしかったけれど
まあ、数を英語で数えられて四則演算の記号を英語で言えれば
なんとかなった (^_^;)
月曜から金曜まで毎日3時間、通い詰めてました。
なんか、教えるってことにはまってしまったみたい。
アメリカ人の子供たちはとってもかわいかったし
愛情表現豊かで、「Thank you!」とハグしてくれる。
とっても新鮮だったな。
中でも算数が苦手だった女の子。
毎日「教えて」と手を挙げていた。
(ヘルプが欲しい人は手を挙げる仕組みだった)
少しずつ、でも確実に力がついてきて
やがて私のお手伝いは不要になった。
彼女がティーチャーズデー*¹にくれたキティちゃんのネックレスは
今でも私の宝物になってる。

やがて日本への帰国が決まり、そのことを伝えると
算数の先生は
「日本に帰ってもぜひ数学を教える仕事を続けて。
 教えることはあなたのギフト*²よ。」
と言ってくれた。最高に嬉しかった。
だから帰ってきたら必ず教える仕事をしようと思ったんだ。
感謝してます、ありがとう、Mrs.Lund!


*1 先生に感謝を示す日、生徒から先生にお花やカードを送る
*2 神様がその人にくれた才能。その人を褒めるときの褒め言葉として使う

2012年10月24日水曜日

模索⑦…『女性』【国語担当】


モンスターPとの出会いは、アイデンティティーの模索に
かなり大きな影響を及ぼした。
「女性」として生を受けた意味、「女性」として為すべきこと。
「男性」を異性として意識し、認識すること…etc
改めて考えさせられた。
男女雇用機会均等法の中で必死にもがいてきた私は、
対等に生きる、評価されることばかりを望んできた。
以前、霊感の鋭いKさんに「女性に生れた意味を考えて!」
とよく言われた。私は、どうも思考が男性よりで…。
今世は「女性」としての修業と考えて!と…。
義母にも…「女は勉強なんて出来たって、ちっとも偉くなんか
ないのよ。女性としての気配り、癒しができてこそ!」…と言われた。
そこがいまいち、私の苦手とするところで、理解できず、なかなか
実践できない。本当はこういうことにもっと早く気づき、
できないならできないなりの道を歩むべきではなかったか?!
できないのに、恋だの愛だのに憧れて痛い目に遭って来た。
「女性の品格」という著書の中で、坂東恵理子さんでさえ踏み込んで
語ってはくれなかった領域。私の最大の課題であるような気がする。
っていうか、こういうことを考えながら行動する…いや、
考え、意識しなければ行動できないこと自体、「女性」として
いかがなものなのではなかろうか(と、イッコーさんに叱られそう)。
本当は、俗世の欲で頭の中一杯で、俗世の欲にまみれて生きたいのに、
「それはならぬ!私は御仏に仕える身」と必死に振り払う修行僧
(前世の私)の姿…愛(いとし)君なら、私の後ろに見えるであろう。
※愛(いとし)君…NHK連続テレビ小説をご覧あれ!

2012年10月20日土曜日

転機とその影響【数学担当】

母になってから、かなり気を使った日々を送っていた。
ママ友とどういう風に付き合っていったらいいか
試行錯誤だったな~。
「今までの自分とは違う自分でやっていかなくてはいけない」
そんな思いが強かったことを覚えている。

ある日突然、夫の転勤が決まりカリフォルニアに引っ越すことになった。
そこで出会った人々はなんだかまた違う人たちだった。
おしゃれで華やかで、いつも話題の中心にいる人。
英語もフランス語もペラペラで、姿勢正しい美人の彼女。
いつも穏やかなんだけど、一本芯のある人。
何に対してもいつもチャレンジ、前向きの人。
面倒見のいいみんなの母のような人。
誰もかれもが、私には持っていない魅力を持ち
そして言いたいことを、それはそれは気持ちのいいくらい
ズバッというんだよね~。
…気持ち…開放されました…
自分の考えていることをはっきり話す
意見が違っていたら「違うよ」って言われる
そんな関係はとっても居心地がよかった。
そして、もっともっと自分を磨かなくちゃいけないな
と感じた。
引っ越してきたばかりのころは、まったく英語ができなかった(-_-;)。
それが、大学時代の英語勉強熱がまたムクムクと沸いてきて
成人学校に通ったり、ボランティアの家庭教師の先生に習ったりしたのも
魅力的な彼女たちから影響を受けたから。

このころのことは本当に楽しかったな~。
でもって、数学教室を開くきっかけにもなったのが
このころの出来事だったわけで…またまた続く

2012年10月17日水曜日

模索⑥…モンスター現わる【国語担当】


私が彼女と出会ったのは、とある職場でだった。
20代後半、シングルマザーのP。
彼女の生き方、考え方は、私が過去、お目にかかったことのない
特異なものだった。彼女の根幹に流れるものは「愛」だという。
「愛」の為に生き、「愛し、愛されて」死んでいくのが
全て…と言って、憚らなかった。
「わたし、愛がないと生きでいけないんですぅ」
彼女の発する言葉は、エロティックで刺激的だった。
ピンク色の丸文字に変換されて私の心に響いた。
幼い頃から、意中の男性のことだけを考え、身も心も彼好みの
女性になるための努力に時間を費やしてきたという。
私が不可欠と感じる常識や観念は、全く持ち合わせていなかった。
私が必死で追い求めてきたものには、一切、興味も関心もなかった。
それどころか、なぜそんなことに必死になっているのか?と
不思議がった。互いに異質だったのだ。

ふと、「今度生まれかわれるのならPに生まれ変わりたい」と思った。
それを伝えると、Pは「だめですぅ。わたしは生まれ変わっても
またわたしに生れたいからぁ」と返された。
この言葉を聞いたときの私の状況は、漫画でいえば、後頭部に
大きな岩がのっかっていて、顔上部半分がグレーで、縦線が
入った図だ。そして右上に大きく「ガ~ン!」という文字。
人生、誰でも後悔は付き物で、同じ人生をもう一回送りたいなどと
思う幸せ者は、イチロー選手か石川遼君くらいかと思っていたが…。
っていうか、建前でも「じゃあ、わたしはあなたに生まれ変わりますねぇ」
くらい言ってもいいんじゃね?! 私の人生、全否定かよ?…って思った。
Pに「わたし、桃っぽいねって言われるんですけどぉ、何っぽいって
言われますかぁ?」と尋ねられた。とっさに「ごぼう…」と答えた自分が
悲しかった。それから、私は「桃」が嫌いになった。

2012年10月13日土曜日

母となって【数学担当】

年齢的にもそろそろ母になる時期だし…
という、計画的?あるいは世の流れに乗った?
そんな感じで長男を出産した。
それまでスケジューリングで生きてきたから
時間関係なしで泣いたりねんねしたりする子供に
正直とっても戸惑ってしまった。
ミルクの時間なのにまだ寝てる、起こすか!?な~んてね。
子供が大きくなってきて、公園デビューしたときも
まったく勝手がわからなかったな~。
国ちゃんがいうように、共通点は母というだけ。
まったく違った考えを持っているから
なんだかお互いチグハグしちゃうよね。
多少なりとも、子育てに順応してきていたので
もう「白か黒かはっきりしようよ」なんてことは言わないけど
それでも、みんなは違和感を感じていたのだろうな。
ときどきシラ~っと冷たい空気が流れたことあったもの。
最近になってお友達になった人が、私と同じように
理系卒業→企業に就職→出産→公園デビュー
という流れを踏んでいて
その頃の話ですごく盛り上がった。
かなりヤバい感じだった、私たち。
相手の話を聞いて、「いやそれまずいでしょ」って言えるのは
それだけ世の中の荒波にもまれたってことかしら。
私自身、あの頃はとっても気を使っていたし
なんだか言いたいことも言えなくて
とっても疲れちゃった。
そんな時、大きな環境の変化が訪れ
それが私をすっかり解放してくれたわけで…続く

2012年10月10日水曜日

模索⑤…中年期【国語担当】


子供が生まれて、母親となってからは、社会との接点は
子供を通してのみとなり、子供を介しての付き合いが
中心となった。それこそ、共通点は「子供がいる」と
いうだけ。学歴・経験・思想どころか、価値観に至るまで
相容れぬ人たちと出会い、理不尽で、不条理なことを
平然と主張する様に驚愕し、理解に苦しむことも多々あった。

今から10年ほど前に転勤先の地方で知り合ったKさん。
彼女は、霊感が強く、その為か安易には、心を開かない人だった。
ふとした話から私が「霊感」について、興味本位ではなく、
真面目に受け止めていることを感じたと言って、心を開いてくれる
ようになった。“おじさん”との時のように、様々な事象について
彼女と話をした。やはり彼女も「何の為に生き、何をなすべきか」と常に
考えていて、それに「目に見えぬ力」が備わった言葉は
重く、説得力があった。彼女の話は、「アイデンティティー」確立の
為のひとつの指針として、私に大きな影響与えた。
私が生まれた意味、あの時あのように選択した意味、今ある意味、
そしてこれからの未来…全てがつながっているということを教えてくれた。

数ちゃんがいうように、「川の流れのように道筋はできている」の
かもしれない。自分では悩んだ末に出した結論であっても、私の
“流れ”は、決まっている/決まっていたのかもしれない。
ただ、その向き合い方によって、ポジティブにもネガティブにも
生きられるのでは、ないだろうか。同じ人生なら、明るくポジティブに
生きた方がいいに決まっている!…私は、そう思うことにしている。
しかし、数年後、その信念をも覆すような強烈な性格の持ち主に
出会ってしまうことになる…のだ!

2012年10月6日土曜日

社会人になって【数学担当】

ぐうたらな大学生生活を送ったけれど
時はバブル真っ盛り。
こんな私でも、無事就職することができた。
同期新入社員は、なんと1500人。
研修期間が終わって配属されても
まだ100人を超える新入社員が一緒だった。
男の子は全員大学院卒。女の子もみんな
有名大学卒業だった。
かなり劣等感を抱いた覚えがある。

この頃のことはあまりよく覚えていないのだけれど
多分この劣等感が私を動かしたのだろう。
結構真面目に働いた。
気が付いたら、バリバリ仕事をしていて
なぜか部下もいる立場になっていた。
次々と仕事をこなしていく達成感が
こたえられないくらい快感だった。
その一方で、性格は白黒はっきりしなくては気が済まない
またまたやばい感じになっていたわけで…。
結局のところ、この性格が子育て
もっと言えば公園デビューするときに
大変なことになっちゃったわけ。

…続く

2012年10月3日水曜日

模索 ④ 成人期【国語担当】


「アイデンティティー」を「自我同一性」と訳すとき
その解釈は…これこそが本当の自分であると実感すること…
である。その為には、青年期に、“自分とは何か、これから
どう生きていくのか、社会の中で、自分なりに生きるには
どうしたらよいのか、自分は何をなすべきために生まれてきたのか…
などという問いを通して、自分自身を形成していくことが理想的である。
これが、漠然とした観念・感覚的な世界で、無意識のうちに、
各種の選択を通して、認識されていたのではないだろうか。

さて、4年後、金融関係の会社に就職したが、ここから本格的な
アイデンティティーの葛藤に苦しむこととなる。
今までは、「類は友を呼ぶ」状態で、似たような仲間の中で
また似たような仲間を選び、過ごしてきた。が、ここからは、
年齢も学歴も経験も思想も…全てが違う仲間/相手と仕事をすることになり、
自分一人では解決できない非合理なことばかりの毎日。
社会の矛盾、本音と建前、事象の両義性に悩み苦しんだ。
ふとしたことで知り合った、50代の有名企業の部長(“おじさん”)が
専ら、私の相談相手だった(人生経験豊かな人であれば、このような
関係をどう呼ぶか、ご存知でしょう…)。
仕事を通じて悩んだり、考えたりしたことを、私は、“おじさん”に
相談した。私の悩みは若き日の“おじさん”の悩みでもあった訳で、
いつも嫌な顔をせず、真摯に向き合ってくれた。
“おじさん”は、社会通念・政治経済・倫理哲学・社会問題
思想/宗教問題に至る全ての分野において、造詣が深く、私は、
“おじさん”の言葉に再考し、熟考し、今ある状況を正確に把握し、
認識する材料を得ることができた。
そして、最終的には「何の為に生れ、何をなすべきか」という問題に
行き着く…というのが“おじさん”の経験からくる結論だった。
これぞまさに「アイデンティティー」模索の原点ではないだろうか。
私は、“おじさん”の存在に、言い知れぬ大きな影響を受けたのだ。